今も昔も、世論というのはちょっとしたきっかけで変わるもので、テレビに関連する事で言えば何らかの映像が世論を一つの方向に誘導する手段となり得ます。「映像は嘘を付かない」という考えがあって、テレビは巧みに映像を流し続けることによってある人物へのイメージを作り上げるようなところがあります。
この文章を書いている2018年9月現在、そうした一つの事例として出ていることがありました。オリンピックの女子体操候補選手がコーチによる自身への暴力によりコーチ資格無期限停止という裁定が重すぎるから、オリンピックまでにコーチが復帰できるようにして欲しいという訴えを出しました。さらにパワハラで特定の体操協会の理事夫妻の自分に対して行なわれた言動を告発したことで、当初のテレビでは理事夫妻へのバッシングという流れになったものの、ある一通の映像で筋目が変わってしまったという事がありました。
それは問題が起こった3年前に撮られたと思われる、コーチによる記者会見を行なった選手に対する壮絶な「ビンタ」の動画です。テレビのコメンテーターは「暴力は絶対ダメだ」という思考回路により、それ以上の思考がストップされたかのように、態度を180度近くまで変えてしまうフジテレビの「バイキング」のような番組も出てきました。
私自身も実際の暴力的指導の現状を見せられるのはあまりいい気分ではないのですが、関係者が出してきた動画一つで騒動の論調が変わってしまう現状を見ていると、いかにテレビ局が、連日騒動の報道していながら、さらに競技自体の取材も行なっていながら肝心のトラブルの内幕に関する取材能力がないのかということを示してしまっているように思われます。「バイキング」の場合でも事前にフジテレビ側でしっかり取材をし、そこで得た核心を突く取材内容が番組司会者である坂上忍さんに伝えられていれば、この問題が報じられた早い段階から坂上さんもそうした番組の調べてきた事実関係も念頭に置いた上で議論がされていたでしょう。
今回の報道については、出てきたタイミングを考えてみるとむしろ映像を流す側の意図というものも感じられるところがあります。既に協会から無期限の活動停止処分を受けているコーチは、改めて映像を流されることで3年前の事と現在の事が分けられることなくバッシングを受けています。どれだけ謝っても過去に起こした罪は消えないというなら、日本の刑罰においてもそうした考えが適用されるべきですがそんなことはなく、それこそ死刑に値する罪を犯していない限りは「罪を償い反省する」というプロセスの中で更生の道は残されています。
ただ、テレビでの討論で関係者への対応を決めることはできませんし、この問題については当事者不在の中で言いたい事を色々喋って世論を誘導するよりも、客観的な証言を基にした取材結果の報道をしながら、第三者委員会の報告が出るまで待つのがテレビができることではないでしょうか。もっとも、テレビ局と今回の問題における特定の関係者がつながっていて、真実とは違う内容へ世論を一定の方向に誘導しようとしているようなことがあれば、その件についてはテレビ局自体が批判を受けることもあると思います。こんなことをわざわざ書くのは、ここで挙げたフジテレビだけではなく、テレビがそれこそ今回問題になった女子選手と同じように将来ある若いアスリートについて、極めて悪意あるイメージを植え付けた報道をした「前科」があるからです。
かつて日本のプロ野球において、読売巨人軍への入団を希望し「空白の1日」という当時の仕組みの裏を突いて突然に読売巨人軍への入団を発表した江川卓選手の記者会見でテレビ放送された江川卓選手の放った「そう興奮しないで下さい」という発言のシーンは繰り返し報道され、多くの野球ファンだけでなく一般の視聴者をも「江川=悪役」というイメージを主にテレビが植え付けました。
この一件は今のドラフト制度が変化していく一つの契機になっています。というのも元々ドラフト制度はお金のある球団がアマチュアの有望選手を買い漁ってチーム戦力の不均衡がひどくならないように契約金の上限を決め、さらに指名が競合したらくじ引きで交渉権を決めるものとして始まりました。ただ考えてみると、この制度では全てのプロ野球に入りたいと思う人間は全て「プロ野球機構」に属し、そこで入団する就職先が決められる(特定の球団による単独指名とくじによる交渉権獲得がそれにあたる)ような形になっています。それにしては江川選手の活躍した時代というのはプロ野球と言えば「読売巨人軍」というように、あからさまに「パ・リーグ」より「セ・リーグ」、「セ・リーグ」の中でも一番注目を浴びるのが「読売巨人軍」というような露骨なマスコミ報道全般に関わる贔屓があり、関東地区だけでなく地元に球団がない地域のテレビではプロ野球中継といえば「巨人対○○」というカードばかりでした。
それでもなお江川選手の読売巨人軍贔屓を批判するなら、それまでのテレビ・新聞の読売巨人軍偏重についても自己批判しなければならない部分もあるのではないかと私は考えます。とにかくそんな社会状況の中で江川選手の「空白の一日」が発生しました。ちなみに、この事件についての詳細はネットでも見られると思いますが、江川選手本人が当時の政権与党である自民党の代議士に相談して巨人への入団を何とか強行しようと事を進めたわけではありません。本人が大学を卒業した後アメリカへ留学するまでの行動を行なったことでもわかる通り、本人は自分の意思を示すことで、ドラフトの単独指名を願っていたと思います。しかしドラフト会議では必ず指名が重複すると考えた大人達は、あくまで江川さん本人がプロ野球界に入るなら巨人入りを希望しているということと、その投手としての類まれなる才能を知っている大人達が、様々な思惑を持って本人を説得し安心させるような説明をする中で起こした事であるという見方が普通です。空白の一日を使って巨人入団を発表したものの、それが関係者が思っている以上に世の中が騒ぎ出したことで、当時の大人たちは本人をテレビカメラの前に出して記者会見しないと収まらないということで、記者会見が開かれました。
普通、全国紙やキー局の記者をされている方なら、江川選手本人がこの法の網をくぐり抜けるような契約を一人で画策して行なったわけではないことは十分わかっていたでしょう。しかしその記者会見直前の状況というのは、まさにまだプロ野球に入る前の若い選手に向けて多くの記者が敵意を剥き出しにして殺伐な雰囲気を醸し出していたというのです。
そこで、記者からの怒号のような発言が飛びかう中、江川選手が冒頭に言った一言が「そう興奮しないで下さい」だったわけですが、当時のテレビはその前に記者が怒りの調子で詰め寄る場面はカットして江川選手が冷静さを失なった記者達をなだめた場面からの映像を繰り返し流しました。当然視聴者は記者会見前の状況がわからず江川選手の若い選手にあるにも関わらずかなり「ふてぶてしい態度を取る奴だ」となってしまい、バッシングへとつながっていくのです。
この事例においては当時の政界ともからみ、単なるスポーツ選手を利用して、様々なイデオロギーを持つマスメディアが自分達の主張を押し付けようとしたり、経済界にからむ人達がお金を儲けようとしたりと、そんな大人達に江川卓さんは利用され、その悪いイメージはまだ一部の人にとって払拭されていないわけで、重ね重ね当時のマスコミ、特に編集で都合の悪い部分を切って放送したテレビの罪について考えなければいけないところだと思います。
もちろん、視聴者の興味を引き付けたいというのがテレビ制作者の本音であるわけですが、視聴率を上げたいからそこまでの罪もないスポーツ選手のその後の人生を左右しかねない映像を繰り返し流し、世論の誘導まで図ることが本当にいいのでしょうか。女子体操のトラブルがテレビで語られる中では盛んに「アスリートファースト」という言葉が出てきます。そしてオリンピックになると必ず言われるのが、「メダリストは神様でも4位以下は虫ケラ扱い」とは言いすぎかも知れませんが、メダリストでなければあまり詳しく報道しないのもまたテレビなのです。
日本のテレビが今後も「メダリスト偏重報道」を続けるなら、まずは東京オリンピックを目指す有望な選手をいかにして能力を伸ばせるような環境を整えることが大事なのですが、そこでのテレビの役割は綿密な取材によって体操に関係する人々の中にくすぶっている大きな膿をあぶり出し、今もって女子の体操がオリンピックでメダルを取れない原因を追求することではないでしょうか。
ですから、いきなりショッキングな映像が出てきたり、番組コメンテーターがいきなり意見を変えたりするような時には、冷静にその裏に何があるのか? という風に考えたり、報道がアスリートの今までの努力を葬り去るようなものではないかとも考えてみましょう。素直にテレビ制作者の好む方向に世論を誘導されないようなテレビの見方ができれば、テレビの作り手側も考え方を変えざるを得ないでしょう。