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戦争の悲惨さを普段見ない視点で描いた珠玉のドキュメント

番組がお昼に放送されたこともあり、なかなか全ての人が見られない番組ではありましたが、一年に一回あるテレビ番組コンクールの賞を受けた番組をNHKと民放の垣根を超えてオンエアーするという珍しい番組になっています。ちなみに、これはテレビだけではなくラジオでもNHKが賞を受けた民放の番組を流したりしていましたので、特に民放では深夜早朝でしか見られない良質のドキュメンタリーを直接見ることができるチャンスです。

コンペで最高賞を受ける作品の題材について、どうしても戦争に偏ってしまうのは仕方のない気もしますが、今回の放送で見ることのできた作品は、ちょっと食傷気味な戦争の切り口ではない番組が目立ち、さすがに評価を受けた番組が集まっているなと感じるには十分なものばかりでした。

広島テレビ放送の「NNNドキュメント」の中で放送されたアメリカ人被爆者について取材した番組は、前アメリカ大統領のオバマ氏がまだ大統領だった頃に広島の慰霊祭にやってきて行なったスピーチを放送していましたが、広島でオバマ氏と抱擁した日本人の男性は誰なのかということが、このドキュメンタリーを見たことで私自身初めて知りました。森さんと呼ばれるその人は、自身が被爆者であり12人と少ない人数ながらその時に広島にいた米軍捕虜たちの被爆者の詳細について調べ上げた森重昭さんであったのです。

広島では在韓被爆者の扱いが違うということは知っていましたが、当時広島にアメリカ兵の捕虜がいたという事自体、知らない人が多かったと思うので、こうした番組が賞に選ばれることで見る機会が増え、今回私も見ることができたことは良かったと思っています。

さらにそういう意味で、全く知らない太平洋戦争に関わる事実を知ることができたNHKBS1の「BS1スペシャル 父を捜して 日系オランダ人 終わらない戦争」の衝撃は半端ないものになりました。

日本がオランダが当時占領していたインドネシアに侵攻し、その一帯を支配した時期がありました。日本では当時、日本軍が南洋の島々への実効支配を固めるとともに、異国情緒あふれた南洋の様子を歌った歌謡曲が流行るようになります。例えば灰田勝彦さんの「ジャワのマンゴ売り」や「バダビアの夜は更けて」のような歌は、軍国主義により戦意高揚の流行歌ばかりになりがちであった日本の歌謡曲の中で、あえて戦地の事を異国風のメロディに乗せて歌うことで、軍歌以外の曲を流行らせ、甘いメロディや歌詞を出しても検閲を逃れた面もあったように思いますが、この番組で紹介されるような悲劇をテレビからではありますが目にしてしまった今となっては、その認識を改めざるを得ないようなことにもなってきます。

というのも、今オランダでは母親がオランダ人やインドネシア人で父親が日本人という日系オランダ人の方々が今でも太平洋戦争の影響で苦しんでいるというのです。自分の父親である日本人が終戦とともに逮捕されたり日本に帰らなければならなくなったことで、自分の肉親が誰なのかわからずに、自らのルーツ探しをしている人がいるという現実が今もあるのです。

すでに当事者である日本人の父親はこの世にはいない場合も多く、その遺族からするといきなり私はその男性の子供ですと言われても、返答すらしない日本人も多いとのことなのです。番組に出演した方はオランダ人の母と日本人の父との間に生まれたことで、日本軍の捕虜になって強制労働や拷問を受けた事で日本に対する強い憎しみを持つ継父から執拗ないじめを受けた体験や、虐待の延長のような形で継父にレイプされて子供を生んだという衝撃の告白をするなど、今回の番組に出演した方々は赤裸々な生涯について告白されていました。

見ている方としてはなぜそこまでぶっちゃけて話すのかという疑問は当然出てくるようで、番組を見終えた森達也さんが番組プロデューサーにその件についての質問していたのは最もでした。なぜそこまでカメラに向かって話すかというと、自分の父親を知ることができた人というのは少ないらしく、先述のように日本に問い合わせをしても梨のつぶてという事がほとんどなので、他の父親を探している仲間についても自分の父親が誰かを知ることができるよう、日本のテレビクルーに自分達の抱える問題を見せることで、日本で番組を見ている日本人にそうした活動に協力して欲しいという願いを込めてのことのようです。

番組では当時者の日系オランダ人のお孫さんが自分の親のルーツを調べたために、異きょうだいと当事者の母親や継父とも絶縁するに至った事を紹介されていましたが、そんな事が、多くの人が太平洋戦争を忘れようとしている今に起こっているというのは、当時国の一つである日本に生きる身としては大変なショックを感じざるを得ませんでした。この番組を見るまでは、南国を舞台にした戦時中の歌謡曲というのは、戦時中でもほっとできる清涼剤のような存在なのではないかと思っていたのが、実はとんでもない人の営みを生みだした原因の一つだと、今までと変わった見方をするに至りました。

現在の日本ではなかなかテレビドキュメンタリーに日の目が当たる機会がなく、見る事自体も大変です。そんな中で良質のドキュメンタリーは何だったかを教えてくれ、さらに今まで全く知らなかったような事実を教えてくれる番組をまとめて見られる機会であるこの番組は毎年継続してチェックしておくべきだとしみじみ思いました。

(番組データ)

ザ・ベストテレビ2018「第二部」NHKBSプレミアム
10/15 (月) 12:30 ~ 16:40 (250分)
【ゲスト】森達也,梯久美子,小原一真,中村育子,金本麻里子,加藤紗千子,
【司会】三宅民夫,雨宮萌果

(番組内容)

この1年、国内の主要なテレビ番組コンクールで最高賞を受賞したドキュメンタリーをNHKと民放の垣根を越えて放送する。

「第二部」10月15日(月)午後0:30~4:39(4時間09分)
▽午後0:36ごろ~地方の時代・映像祭賞「かあちゃんのごはん」(信越放送)
▽午後1:36ごろ~放送文化基金賞・ATP賞「BS1スペシャル 父を捜して 日系オランダ人 終わらない戦争」(椿プロ/NHK)
▽午後3:37ごろ~民放連賞テレビ教養番組「知られざる被爆米兵 ヒロシマの墓標は語る」(広島テレビ放送)


NHKは「阿波おどり」を広く見てもらう気がないらしい?

ちょっとテレビの番組表を見ていて気になったのですが、2018年の徳島市で8月のお盆に行なわれた「阿波おどり」ですが、同じNHKBSでは生中継があったような気がしていたのですが、今年は何と月曜日の午後4時前に録画編集したものを放送しました。2018年は「総踊り」が中止になったり市長や徳島新聞が批判の矢面に立たされた報道によるところもあったのでしょうが、過去最低の人出と言われ、もし生中継をしたら何が起こるかわからないと思って録画中継にするのは理解できるにしても、放送する時間は一体どうなの? と思ったのは私だけではないはずです。

中継の演舞場の席は最初の連の時には埋まっていて、そうした事も編集された結果だということを感じていました。阿波おどり開催中の観覧席はかなり売れ残って空いていたという報道もあり、実際にガラガラの観客席の写真をこの夏に何枚も見ました。これは、テレビの画面というものがそこで起こっている状況を全て映しているというわけではなく、あくまでカメラで撮られた部分のみしか映らないということもあります。

自分も写真を撮る時にはそれほど盛り上がっていない状況でも画面を切り取ることで大盛況のような写真をあえて撮ることもありますが、恐らく今回の阿波おどりについてもそんな感じで人がいる時間帯や、人が集まっている場所を狙って撮影したのではないかという風にも思えます。例年なら多少席が埋まっていなくても全くその事には関心はなく、あくまで踊りのクオリティや迫力だけを見て楽しむだけなのですが、2018年という年は阿波おどりにとって難儀な年だったと思ってしまいます。

ただ、今年は逆に踊り以外にも、観客席の上にある看板にはどんな企業が入っているのだとか、どのお客が招待券を利用して、どのお客がお金を出してチケットを買って見ているのか、その踊りへの声援の掛け方でわからないかと思ったりとか(^^;)、そんな事も気になってしまいました。

しかし、番組を見続けていく中で、私はその瞬間を見てしまいました。番組の半ばに今回の騒動の概要は伝えたものの、あくまで徳島市が準備をしっかりやって開催にこぎつけたというニュアンスの説明だけで、市長が禁止した「総踊り」についての言及もありませんでした。ただ、その直後に踊りの様子が紹介された「阿呆連」の踊りの最初の部分では、多分踊りのスタート地点付近だと思うのですが、見事にガラガラの観客席が一瞬映し出されていました。さすがに、テレビで踊りの全てを流す中では、一部の客席がガラガラなのを隠すことはできなかったという印象です。

阿波おどりの魅力を伝える番組ということで、あくまで前向きに、騒動については極力伝えずに現場は盛り上がっているよ! という事を伝えたいというのが番組の目的なのかも知れませんが、だったら見る人の限られる(わざわざ録画して見る人を含めて)月曜のまだ夕方前の時間帯にぶつけて放送することの意味というものは何なのか? と改めて考えてしまいます。

結局、毎年阿波おどりについて番組を作ることは決まっていて、今年は騒動の影響で生中継できず、どんなに隠そうとしてもガラガラの客席を映さざるを得ない事がわかった時、これは放送時間をずらして放送してやれという風にしか私には感じられませんでした。

私はたまたまその前に見ていた深作欣二監督の忠臣蔵の映画を見た流れで見ることができましたが、これも月曜日の昼間に休みだったからという事があって、そうでなければ全く見ることのできない時間帯でした。毎年、この中継やVTRの取材を受けたちびっ子を含めた踊り手さんもさぞや残念だろうと思います。なぜ同じウィークデーでも多くの人が仕事終わりで見ることのできる夜に編成できなかったのか。それがテレビだと言われればそれまでですが、やはりこうした日本の祭りというのはそこで行なわれているものをリアルタイムで見たり、参加した人たちが家族そろって見られる時間に放送することに意義があるのではないかと思うのですが。

さらに言うと、今年だったらテレビ中継される演舞場でも当日券が余っていたのではないかと思われるので、本当に阿波おどりを間近で急に見たくなったら近くにいる人がテレビを見て現場に押しかけることもできます。これもテレビの即時性の一つです。

いつのころからかこうした日本の祭りや花火大会を生中継する番組がBSを中心に全国放送されることが多くなりました。私はもっぱらテレビで見てその魅力を感じるだけではありますが、テレビで見て大きな魅力を感じたものについてはいつか直接出掛けて見に行きたいものもあります。しかし、今年の阿波おどりの録画中継は、あらゆる意味で不満が残ることになったことだけは確かではないでしょうか。

ちなみに、再放送予定はすでにあるのですが、同じ9月ですが27日(木)深夜(28日(金)) 午前2時50分からというまたとんでもない時間でした(^^;)。再放送についてはこんなものかなという気もしますが、来年はきっちりと生中継にして、現場の良いところも悪いところもしっかりと伝えて欲しいものです。

(番組データ)

徳島 阿波おどり2018 NHKBSプレミアム
9/3 (月) 15:45 ~ 16:58 (73分)
【ゲスト】瀧本美織,
【解説】阿波おどり情報誌編集長…南和秀,
【アナウンサー】高山大吾

(番組内容)

徳島を代表する夏の祭り、阿波おどり。熱演の数々をたっぷりご紹介します。ゲストは、俳優の瀧本美織さん。なんと瀧本さんも、阿波おどりに初挑戦!見事、観客の前で踊りきれるのか?さらに、クイズ形式で阿波おどりのディープな世界をご紹介。これを見れば、あなたも阿波おどり通になれるかも。


美輪明宏さんはテレビの外で「一発屋」を脱した

お笑い芸人の小島よしおさんが、そろそろテレビでは飽きられてきた時の話から今回は始めさせていただきます。たまたま何かの番組内で小島よしおさんが美輪明宏さんとご一緒する時があり、小島さんが美輪さんに「一発屋にならないためにはどうしたらいいのですか?」ということを尋ねたのですが、小島さんの脳裏には美輪さんは芸能界の重鎮としての地位があり、自分とは全く違う雲の上の存在だと思ってそんな常人にはなかなか答えが見付からないような問いを発したのですが、その時に美輪さんが発した言葉というものを覚えています。

「あら、私だって一発屋だったのよ」

その時は私自身も美輪さんが言われるように「一発屋」という存在だったことを知りませんでした。この番組を見れば、それが真実であり、さらに苦労を重ねて歌い続けてきたからこそ今の美輪明宏という存在があることがわかります。

番組を見ていない方のために簡単に説明すると、東京に出て銀座の「銀巴里」の専属歌手になりフランスのシャンソンを自分で訳詞して歌ったのが評判になり、出したレコード「メケ・メケ」がヒットしたのですが、人気絶頂の時に同性愛者であることをカミングアウトしたことで芸能マスコミからの大バッシングを受けて全く仕事が無くなります。

無一文になった美輪さんが全国のキャバレー回りをする中で生まれたのが時代的にもシンガーソングライターのはしりのように自分で作詞作曲した曲で、多くの売れている時に擦り寄ってきた人々が手のひらを返すように去っていく中、当時「上を向いて歩こう」がヒットしていた作曲家の中村八大さんのところでした。このくだりを中村八大さんの息子さんが語るところは、やはり一流の仕事をしている人はホンモノを理解できるのだなあとしみじみ思いました。その結果、美輪さんは中村八大さんが音楽を担当するNHKのバラエティ「夢で逢いましょう」の「今月の歌」に登場。その姿は黒のセーターに黒のスラックスという、後に同じNHKの「SONGS」や「紅白歌合戦」に出演した時に見せた姿のようで、これが美輪さんの本気の姿なのかなと思ったりしました。

その後、番組のテーマである「ヨイトマケの唄」をNET(現テレビ朝日)「木島則夫モーニングショー」でノーカットで歌ったことが話題になったことでレコードが出て、40万枚の大ヒットになり、見事「一発屋」から脱したわけなのですが、この後、さらに理不尽な境遇に美輪さんも「ヨイトマケの唄」も晒され、美輪さんが「ヨイトマケの唄」をテレビで歌うことはしばらくできなくなってしまったのです。

それは、当時様々なメディアで起きていた「差別的な用語」についてのかなり強硬な抗議活動をする団体があったため、この「ヨイトマケの唄」の中にある「土方」という呼び方にクレームが付き、「放送禁止歌」という名前の「放送を自粛すべき歌」としてテレビ局にリストアップされたことで、曲および美輪さん自身もテレビに呼ばれなくなってしまったというわけです。

普通ならそこまでバッシングを受け、テレビの中からもはじき出された中で復活することは難しいと思うのですが、まさに不死鳥のように美輪明宏さんはテレビに復活し、史上最高齢での初の紅白歌合戦出場を「ヨイトマケの唄」で果たすことになるわけですが、そこに至るまでにもかなりの長い期間、テレビではない外の世界でどさ回りのように日本中を旅して回り、多くの人達と語り合い、そんな中でさらなる歌の説得力を持って行ったように思います。テレビというのはある種のショーウィンドウだとするならば、「一発屋」から抜け出すためにはテレビに固執することなく自分の実力をテレビでない所で磨くことが一番の近道のように思うのです。

冒頭で紹介した小島よしおさんも、今や小さな子どもたちのためにテレビでないステージをこなす中で「ごぼうのうた」を作り、今やデビュー当初とは違った顔を見せています。実際に小島よしおさんが美輪さんに受けたアドバイスからそうなったのかどうかはわかりませんが、恐らく今後も小島さんは「一発屋」というネタをうまく使いながらこれからも安定した芸能生活を行なってくれると思います。

最後に、私が考える「ヨイトマケの唄」の魅力について書いておきたいと思います。その歌詞において、たいがいの曲というのは時代とともに古びていきます。すでに現代の人にとって電話といえば「スマホ」のことで、ダイヤル式の電話など全くその存在も知らない人が存在する中、「電話のダイヤル回して」なんて歌詞があったら何の事かわからずに古びていくのが普通です。「ヨイトマケの唄」の歌詞の以下の部分が、この曲を今でも歌い継がれるものにしている素晴らしい歌詞だと思います。

「今じゃ機械の世の中で おまけに僕はエンジニア」

「機械」と「エンジニア」という言葉はレコードが出て50年以上経っても「死語」になって辞書の記述から消えるようなことにはなっていません。数ある言葉の中からこの二つの言葉を選んで歌詞にした美輪さんの才能というのはそれだけでも素晴しいと感心するしかありません。

(番組データ)

美輪明宏 ヨイトマケの唄 その愛と秘密 NHK BSプレミアム
2/3 (土) 19:30 ~ 21:00 (90分)
【出演】シャンソン歌手…美輪明宏,
【語り】石澤典夫,久保田祐佳

(番組内容)

美輪明宏の伝説の名曲「ヨイトマケの唄」。この歌が人々に愛されるまでには数々のドラマがあった。その謎をひもとく未公開テープが作曲家・中村八大の遺品に残されていた。そこには若き日の美輪の肉声が。美輪が自らの人生を投影し、底辺で精一杯生きる人々の姿に心を動かされ、書き上げたこの曲は数奇な運命をたどりながら時代を越えて歌い継がれていく。美輪本人や関係者の証言からこの歌が人々の心をとらえ続ける秘密に迫る。


山田風太郎の日記は学ぶべきか捨て去るべきか

三國連太郎さんが朗読する作家・山田風太郎さんの戦後から1993年まで43年間の未公開日記を時代別に辿りながら(『戦中派不戦日記』など、戦争時の日記は既に刊行されていました)、彼の残した言葉の意味を考えさせるような感じで番組は淡々と進んでいきます。三國連太郎さんが語る山田風太郎さんの言葉は、今の基準に照らすといわゆる「リベラル」的な考えのようで、中にはこのような番組など見るだけ無駄だと思っている方もいるのではないかと思います。

しかし、山田風太郎さんは戦前は自らの病弱に起因し、戦争に行けなかったことがあったからなのか筋金入りの皇国青年として育ち、昭和20年8月15日の太平洋戦争終結の日には仲間ともども降伏に反対し決起を考えたほど、思想的には右に寄った考えを持っていました。しかし、戦後のあまりの日本人の心の変化に(特に戦前から戦中の期間に軍国主義をうたっていた人たちの戦後になっての変化がすさまじかったので)、その後の日本政府や日本人の行動などを日記の中で憂うような考えを示すことになっていきます。経済的なメリットでアメリカ的なものにひれ伏すような感じではなく、あくまで地に足を付けて様々な日々通り過ぎていく事件などを日記に記していく中で、赤裸々な自身の考えを日記の中で表現しているように感じます。

作家の書く日記なので、もしかしたら書きながらある程度公開することも考えて書いているところもあったのかも知れません。現代にあてはめてみると、感じとしてはブログを使って今の自身の心況を自分のためだけでなく世間にも公表するような感じで書いていたのかも知れませんが、出版するにしてもまずは読んでくれる人がいるのかという問題もあり、実際に今まで出版されないところからも当時は必ず世間に公開されるという確信があって書かれていたのではないでしょう。今回の特集も「未公開日記」ということでの紹介なので、あざとい計算で書かれたものではないということは言えると思います。あえてあざといと言うなら、番組として強烈なインパクトを残すために三國連太郎さんを効果的に画面に出しつつ、さらに資料映像とからめて日記の一部分を抜き出して紹介する作り手としてのあざとさというのはあるかも知れませんが。

残念ながらこの番組で紹介された膨大な量の日記は未だ世に出てはいません。もしきちんと読めればこの番組の内容もきちんと検証することができるのかも知れませんが、研究者でもない限りは通しで読むことは難しいかも知れません。番組ゲストの五木寛之氏が番組を一緒に見た後でおっしゃっているように、山田風太郎の戦後の出来事を斜めから看ているようなネガティブさというものをたどる事は、豊かさがあふれる戦後の中で、現代にまで続くどんな問題が巣食っていったのかということを一部明らかにし、将来の自分たちが同じ失敗をしないようなヒントが隠されているような気がしないでもありません。

五木氏の言葉の力とはすごいもので、山田風太郎さんの未公開日記は司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」でなく「坂の下の霧」だと言えば、わかる人はどんなニュアンスの日記であるかがだいたいわかってしまいます。さらに登山でたとえると、一生懸命登って頂上まで至る登りも大切ではあるものの、安全に麓まで降りる下山というものも大切でどう実現するかということが大事だと思って書いたようなものだという話は、なるほどなと思います。日本はこれから単に下リ坂を転がり落ちていくのではなく、「収穫の時期」の楽しみもあると言い、これからの日本の「豊かさ」を楽しみに過ごすのも良いと締めくくられました。恐らく番組を見た方の年代によって感じるものが違ってくるのではないかと思います。

そう考えると、あんまり若い人がこの番組を見て老境に入ってしまうのも困りますし(^^;)、そんなネガティブな考えに凝り固まってしまうなら現状ではこんな番組を見たことなど忘れて自分の好きな事をやり通せばいいと思います。ただ、自分の信じた考え方でつき進んでいる若い方々に相手にされないまま、通り過ぎられてしまうというのでは悲し過ぎるので、こういった番組は定期的に放送していただくか、実際の山田風太郎さんの戦後の日記をどこかの出版社が出してくれると有難いものです。それこそ司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」に対比される書物として読まれ継がれていくのではないかというところもあるわけですし、関係各位のご英断を望みたいものです。

(番組データ)

プレミアムカフェ選 山田風太郎が見た日本~未公開日記が語る戦後60年~ NHK BS プレミアム
11/8 (水) 9:00 ~ 11:01
【朗読】三國連太郎,
【スタジオゲスト】作家…五木寛之,
【スタジオキャスター】渡邊あゆみ

(番組内容)

ハイビジョン特集 山田風太郎が見た日本~未公開日記が語る戦後60年~(初回放送:2005年)作家・山田風太郎晩年の未公開日記から、戦後60年の日本社会、経済の起伏を見つめる。朗読:三國連太郎