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全国放送の首都圏偏向と「ちびまる子ちゃん」

2018年8月28日の朝のワイドショーで報じられた大きなニュースは2本ありました。一つは漫画・アニメで人気の「ちびまる子ちゃん」などの作品で大いに知名度があったさくらももこさんが同年8月15日でお亡くなりになっていたことが前日発表されたことによる追悼報道と、もう一つか首都圏を襲ったゲリラ豪雨についての長いレポートでした。

まさにこの内容というのは、過去から現代まで続くテレビの現状とその根底にある精神を表わすような状況だったので、その内容を記録しておきたくあえてこれらの2つの事象を見ていきたいと思います。

日本のテレビは、主に東京にあるNHK・民放の制作した番組を全国に放送していて、中には大阪や名古屋の放送局が作る帯番組やドラマもあるものの、基本的には東京が日本の中心であるという意識に基づいているのか、東京中心の情報番組やニュースも全国放送されるということが普通になっています。

逆に、地方で起こった同じクラスのゲリラ豪雨くらいでは、情報番組ではわずかしか取り上げてくれないような事も起こります。東京というのは全国から人が集まるということもあり、地方在住の人にも誰か知り合いが首都圏にいるからという理屈は立ちますが、本来は首都圏のローカルニュースで扱うべきというクラスのソースでも、取材に行きやすかったり多くの視聴者からのスクープ映像が取りやすいということもあるので、今回もまた同じように長時間の放送になってしまっているということはあるでしょう。

こうした事がわかっていて見ているならいいのですが、まだそうした事がわからない年代の人たちが、テレビの情報番組を見るなどしてただただ東京へのあこがれだけが募り、自分の故郷をないがしろにして東京へ行ってしまうと、ではその人は東京で何をよりどころにして生きていくのか? と心配になります。ここで改めて紹介したいのが漫画「ちびまる子ちゃん」の世界であるのです。

元々さくらももこさんは高校を出て短大まで自宅のある静岡県清水市(現在は平成の大合併によって静岡県静岡市清水区となっています)で生活していました。短大時代にデビューが決まったので出版社のある東京に出ることになりましたが、その作風は多くの人がご存知の通り、生まれてからずっと過ごしていた小学校の学区を中心にした物語になっています。

今回の訃報報道で改めてびっくりしたのは、アニメが放送されているという中国や台湾からのその早すぎる死を悼む声が聞こえてくることです。作品の内容については普遍的な内容がほとんどではあるのですが、先日お亡くなりになった西城秀樹さんと登場人物の「まる子」との関係は極めて地域的なもので、なぜ西城秀樹なの? という疑問を持つ方も少なくないでしょう。しかし、そうした細かいディテールを詳細に漫画に描くことで、たとえそれが自分の知らない地方都市での物語であっても、まるで自分の事のようなリアリティを感じることができるのが、「ちびまる子ちゃん」の魅力であると思います。

こうした「自分の根付いた土地に自分の個性を求める」創作活動というのは、一見すると「楽屋オチ」で「ひとりよがり」のようなものになってしまうような気もするのですが、実はそうではないどころか日本を飛び込えて世界からも認められるオリジナリティーを持つということもあるのです。

同じアニメで言えば、「ドラえもん」がそうですし、クラシックの世界で言うと、ヨーロッパの音楽に近づこうとした勢力の一方で、生まれ故郷の北海道のアイヌの自然をそのまま曲にしたことが海外で評価され、その後「ゴジラ」シリーズの作曲を担当した伊福部昭さんの例もあります。ポピュラー音楽でも、かつては何を言っているかわからないと日本ではあまり評価されなかった沖縄周辺の音楽は、今では日本の世界に誇ることができる音楽として認識されているように思います。

話は戻りますが、そんな中であくまで首都圏中心で地方のニュースを軽んじる今の東京のキー局というのは、日本の全てを代表するものではないということは、ここではっきりと明言しておきたいと思います。最近になって地方発の人気番組が首都圏で放送されたりネット配信の形で多くの人に見られるようになってきましたが、まだまだ認知度は足りないような気もします。

ですから、特に地方出身の若年層の方々については、東京にあこがれ故郷から東京に出ていくこと自体は全く問題ないと思うものの、故郷を出るまでには自分がそれまで暮らしてきた土地が自分の考えのいくらかを作っているということも認識して欲しいと切に願うのです。多くの地方出身者が集まる首都圏では、やはり自分の出身である場所で何をやってきたかということが、自分をアピールするポイントになり得るということを、ぜひ「ちびまる子ちゃん」から学んでいただきたいなと思います。

さくらももこさんの作品は、単に自分の地元に根ざした物語ということだけでなく、ほぼ自在の人物を「キャラクター化」し、その人たちを怒らせることなく「笑える」物語として成立させることのできる「客観性」および「バランス感覚」を持った現代の語り部のような存在ではなかったかと思います。ご冥福を心からお祈りいたします。