ナーバスな題材でも事実隠蔽は反発を招くだけ

このカテゴリーで前回書かせていただいた「ベルリンオリンピック陸上競技」の内容がドラマについにのってきました。前回のロサンゼルスオリンピックと比べるとベルリンオリンピックでは公式の記録映画が作られたこともあり、選手は吹き替えではなく一部本当の競技の内容を記録した映画のシーンを使っていました。

一部というのは実は、当時の機材では日没後に競技が延長されて続いた棒高跳びについては記録できなかったためで、映画や当番組で使われた日本の大江季雄、西田修平の跳躍については、翌日改めて競技の様子を映画用に録り直したものでありました。

ただ、前回の内容でちょっと触れましたが、やはりというかこの大河ドラマでは、メダル獲得者以外は興味がないようで、三段跳びの田島直人選手は出てきましたが、5千メートルと1万メートルでともに4位に入り、現地でも大人気だった村社講平選手の存在は全く出てきませんでした。

そして、ドラマのコンセプトであるマラソンについては、これも記録映画に残っているものをそのまま流し、金メダル孫基禎選手、銅メダル南昇龍選手のメダル獲得と、それまで日本マラソン界がなしえなかったオリンピックの金メダルと複数メダル獲得の快挙を伝えました。

番組の中では日本の放送席の隣に陣取っていた優勝候補のザバラ選手の母国であるアルゼンチンのクルーが、ザバラ選手の途中棄権がわかると、そのまま放送を終了して帰ってしまったことが出てきましたが、これは当時のNHKアナウンサーの証言そのものです。また、オリンピックのマラソン中継は、スタートの部分を実況したもののそこで放送は中断し、レースが終わってから改めて放送されたということも事実に即しています。当時の取材では全コースの模様をつぶさに実況できるような事はできなかったということで、恐らくドラマで表現されたような怒号のあとの歓喜というものは日本のあちこちで起こったものだと思われます。

マラソン金と銅の孫・南選手は当時は日韓併合の渦中にあった朝鮮半島出身のランナーで、いわゆる「金栗足袋」を履いての快挙であることも間違いありませんが、前回の放送から播磨屋の店頭に両選手が金栗足袋を履いていてオリンピック代表に決まったというくだりが実は正確ではありません。この点は日韓両国にとって実にナイーブな内容を含むのですが、今回の放送でメダルを取ったことがわかった後、一瞬「今回のメダル獲得は朝鮮半島出身ランナーの快挙で日本人選手ではない」ことに残念がる気分が広がったのですが、そうした当時の日本人の気分を忖度したのか、実は日本選手団が出発する時にもマラソン日本代表は決まっていない状態だったのです。

話はマラソン代表の選考会の時にまで遡るのですが、当時孫基禎選手は、以前から他の競技で活躍していた同じ朝鮮半島出身の先輩から、とんでもない情報を入手します。当時、選考会前に孫基禎選手は当時の世界新記録を出しており、マラソン代表は間違いなしと言われていました。朝鮮半島出身のランナーとしては今回紹介された南選手は実力的に孫選手に次ぐ力があっても、出場枠の3には入らず、当時の日本陸連は日本人選手2名を選ぶというのです。その話を逆手に取るような結果に選考会レースはなってしまうのですが、その結果は南選手が一位、孫選手が二位ということになってしまったのです。

普通に考えると世界記録を持っている孫選手を落とすことができず、さらに日本陸連のメンツにかけても朝鮮半島出身のランナーが代表で2名入ることは避けたいと思ったのかどうかはわかりませんが、ベルリンに派遣する選手は朝鮮半島の選手2名、日本選手2名とし、大会出場の3名はベルリン現地で行なう30キロの現地予選で決定するとしました。

こうした当時の日本陸連の選手選考における不可解さはそれこそ最近の日本のマラソン代表選考にも影響を及ぼしていたようにも思います。しかしドラマでは孫・南選手が大会に派遣される前から日本代表になっているかのような流れになっています。

この辺は2019年現在の日本と韓国との主に政府同士の関係の悪さもあり、史実をそのままドラマ化するよりもある程度フィクションを入れながら描いた方がいいという考えあってのことかも知れませんが、日本人が朝鮮半島出身のランナーに勝てないという状況の中で、露骨な日本人贔屓をした事実は事実として、それら多くの忖度による代表選考が続いたことの反省のもとで2020年東京オリンピック代表選考の一発選考「マラソン・グランド・チャンピオンシップ」が生まれたということもあるので、そうした背景とともに過去の歴史を学習する機会になれば良かったのではという気がしてしまうのです。

個人的には今回の内容自体がニュース配信され、さらなる日韓両国の関係悪化につながるような事にはなって欲しくないですね。まさか放送のあるタイミングで日本と韓国に関する騒動が加熱しているとは制作者側にとっては想定外だったかも知れませんが、この問題はシナリオを書く前から問題としては続いていたと思うので、今後に遺恨の種を残す可能性もある一連の放送ではなく、せめてドラマ終了後のミニコーナーの中ででも、きちんと日本側から見た当時の国内の状況をきちんと説明して欲しかったと思っています。

(番組データ)

いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~(35)「民族の祭典」NHK総合
2019/09/15 20:00 ~ 2019/09/15 20:45 (45分)
【出演】阿部サダヲ,中村勘九郎,上白石萌歌,柄本佑,杉咲花,仲野太賀,森山未來,神木隆之介,荒川良々,川栄李奈,トータス松本,リリー・フランキー,三宅弘城,皆川猿時,塚本晋也,薬師丸ひろ子ほか
【作】宮藤官九郎

(番組内容)

ベルリンオリンピックはナチスが総力をあげ運営する大規模な大会となり、田畑(阿部サダヲ)を圧倒し当惑させる。IOC総会では治五郎(役所広司)が日本開催を訴える。

1936年夏。ベルリンで4年後の次回大会の開催地を決めるIOC総会が始まり、嘉納治五郎(役所広司)は「日本で平和の祭典を!」と熱く訴える。その直後に開幕したベルリンオリンピックは政権を握るナチスが総力をあげて運営する大規模な大会となり、田畑政治(阿部サダヲ)を圧倒し当惑させる。マラソンでは金栗四三(中村勘九郎)と同じハリマヤ足袋を履くランナーが出場。水泳では前畑秀子(上白石萌歌)のレースが迫る。


スポンサーリンク

2 thoughts on “ナーバスな題材でも事実隠蔽は反発を招くだけ

  1. イチニー

     初めてコメントさせていただきます。

     併合ですが、韓国人は植民地だったと主張してますので、植民地同士で比べますけど。
    ○ この時代に日本以外で、植民地の人種・民族が、宗主国の代表選手として選ばれた例はあるのですか? 
     ざっと調べた限りでは、当時のドイツでも、優秀な成績を残そうとアーリア人以外は外され、ユダヤ系で代表選手に選ばれたのは一人のみ(ユダヤ民族は故郷が植民地にされた為に世界に散り散りになった訳ではないですが)(女子個人フェンシングで銀メダル取得)、しかもアメリカ在住者だったようです(アーリア人に迫害されていない人)。
    https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/the-nazi-olympics-berlin-1936
     アメリカ代表に初めて黒色人種が選ばれたのは、戦後それも1986年とも余所で読みました。

    ○ 宗主国の代表選手として選ばれながら、メダル表彰時、植民地の地名や旧国名で表彰された例はあるのですか?
     上記のユダヤ系アメリカ在住メダリストも、表彰台でドイツ(ナチス)に敬礼したようです。

    ○ 「当時の朝鮮民族はひどい待遇だった」と韓国が主張しているのに、孫・南選手は、なぜ奴隷でなく、選ばれた人間しかなれない、マラソン競技者で居られたのですか?
     当時、朝鮮民族を世界のマラソン大会に出場させて入省賞金を横からかすめる、なんて事は出来る筈もありませんし。

    ○ 孫・南選手は、なぜ創始改名させられないで、いられたのですか?
     朝鮮民族も黄色人種な上、日本民族と見た目で区別できないほどそっくりです。
     日本名を名乗らせれば、外国人どころか日本民族すら騙し、「アジア初のマラソン金メダリストは日本人(国籍は)(日本民族とは言ってない)」と出来たでしょうに。
     そもそも、韓国が言うには、当時の全ての朝鮮民族は、創始改名させられた筈では? それが本当なら、彼らも幼少時から日本名を持っていた筈ですのに。

  2. 管理人 投稿作成者

    イチニー さん コメントありがとうございました。

    日本のスポーツ史をひもとく中で、ベルリンオリンピックというのは今回番組で紹介したマラソン以外にも、いわゆる「ベルリンの奇跡」として語り縫がれるスウェーデンに勝利した日本チームのメンバー選考においても一悶着あったという話もありましたが、当然ですがドラマではサッカーの事も全く出てきませんでした。個人的には平和の祭典であるオリンピックにおいて、いざこざの種となるような騒ぎを起こすというのは必ずしもいいことではないように思うのですが、逆にそうした舞台だからこそ発言できると考える人もいるわけで、それが今回紹介した孫基禎選手の後の行動に影響を及ぼすことになってしまうわけです。

    逆に、マラソンで銅メダルを獲得した南昇龍選手は、当時「ナンさん」と呼び掛けられても「いえ、私はミナミです」というようなやり取りをしつつ、極力ナーバスな問題を避けようとした話も伝わっています。さらに第二次世界大戦後は戦前の話についてはほとんど口を閉ざし一時期は外部との接触を断っていました。同じ時期に半島出身でオリンピックに出た人の間でも様々なオリンピックへの想いがあるように思います。

    ちなみに、孫基禎・南昇龍選手はともに1912年生まれで、物心付いたときから自分の国を治めていたのは日本でした。今の韓国国内の動きを見てもわかる通り、その流れの中で順応するか反発するか、様々な想いが交錯していたことは確かです。さすがに、その時に日本と協力したからと現在の裁判で裁かれるような事になるとは当時の人も思っていなかっただろうと思いますが(^^;)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA