08ドキュメンタリー教養」カテゴリーアーカイブ

本を肴にメディア論

この番組は2018年3月17日に放送されていたものの再放送で、どこかでこの番組の感想を見て再放送があるということを知ったことで今回見ることができました。今の世の中に絶望など微塵もなく、バラ色の未来しか見えないという方にとってはあまりピンと来ないかも知れませんが、特に世の中の様子を一斉に伝えることができるテレビ・ラジオ・新聞、そしてインターネットをも含むマスメディアの動向に危機感を覚えている方には、面白く見られたと思います。

そもそも、自らマスメディアの一つであるテレビがこの問題について、単なるメディア論を戦わせるのではなく、昔の本を題材にして現代の社会やメディアについての問題がかなり昔からあったとともに、その状況について的確に憂いていた先人がいることを明らかにしていくというのは、テレビの自己批判とも言えるかも知れません。そうした行為をともなった番組は正当に評価したいというのが私の考えでもあったので興味深く番組を見ることができました。

討論の中で言われていたことに「歴史をひもとく」ことの大切さというものがありました。権力批判やマスコミ批判というのは現代になって発生したものではなく、日本では新聞というマスメディアが登場した西南戦争の起こった明治時代から時の政府によって大衆の心理をコントロールするために官軍を「善」とし、西郷軍を「悪」の権化と新聞を抱き込みつつ巧みに論じ続けることで、一定の政府寄りの世論を作ることができるという成功体験が今も続いているという指摘もありました。そんな悪の権化だったはずの西郷隆盛さんが現代は大河ドラマの主役なわけですから、当時の新聞報道は正直どうだったのか? というように歴史を冷静に考えることができるわけです。

そんな形で大きくなっていった日本のマスメディアにおいて、さらにテレビというのは番組の時間が今回の放送でも100分という風に限られるメディアであるので、全ての参加者が言いたいことを全て言えたわけではないですし、本当はもっと言いたかった話を編集する段階でカットされてしまったかも知れません。どこまで今回の番組を作ったNHKEテレを信じるかということもあるのですが、今はテレビを見るのにも、今回出演されている方々はインターネット上に独自にブログなりツイッターで発信をされている方もいるので、番組で言い足りなかったことを補足したり、そもそも番組自体の評価を後から確認することも可能です。さらに運が良ければ質問をすれば答えてくれる可能性すらあるわけですから、こういう番組をきっかけにしてメディアに対する考えを深めていくというような活用の仕方もあるでしょうし、さらに進めてテレビを単に見る側の人であっても必要に応じて自分でも動くという反応の仕方ももちろんあります。

番組の進行は、各講師の方々が持ち寄った本をヒントにして昔と今のメディアについて討論をしていくというものですが、基本的にはどの時代であっても為政者は自らの行なう政策について最高のものだと思って行なっているわけで、そうした政策に反対する人たちを何とかして抑え込みたいと思うのが普通です。その対処法としてマスコミを使って大衆にわかりやすいようなレッテルを貼り、いかに自らが正しいことを行なっているかを明らかにしたいというのは、もはや人間の性とでも言うべきことなので、昔でも今でも程度の違いこそあれ事実を捻じ曲げてでも発信されるものの中にはそんな情報が混ざっているということを前提にして考えることも必要になるかも知れません。

もちろんそうした傾向が強くなるに従って揺り戻しのように権力を批判するような勢力も現われてはきます。ただ過去の歴史をひもとくと、そうした勢力の多くは権力側の勢力に力で弾圧されてきたということもあり、いわゆる「反権力」と呼ばれる側は自ら武力を持って革命を起こしでもしなければ自分達の主張を広く世間に認めさせることは難しいというのも同時にわかってきます。私自身は暴力的なものに支配されるような世界というのはそれこそ「北斗の拳」の世界に陥ってしまう可能性もあるので、できれば権力を持つ側の勢力が批判に対してもっともだという点があるなら、態度を改めるなど大人の対応を期待したくもなるわけですが。

ただ、現実の社会で何をしでかすかわからない人間というものは、とんでもない事をしでかしてそれが拡散して炎上してしまうのも確かです。インターネットでツイッターなどのSNSを連日追い掛けている人にとっては、例えば今の日本の与党と野党の支持者の間で、かなりエキサイトした印象操作がお互いに行なわれており、いわゆる議論とはかけ離れた過激な言葉のやり合いを行なっている中でお互いにかなり消耗しているように私には思えます。それは、当時者として自分の作り出した「空気」の押し付け合いに参加していないからで、まさに「岡目八目」という言葉のように、いっとき議論から離れて論争を見ながら考えることで、こうした噛みつき合いのような言葉の応酬や、そもそも根本的な問題はどこにあるのかという議論についての整理ができるようになるのではないかと思います。

例えば、「NHKは悪だ」という命題こそが絶対だと思っている人にとっては、NHKの中でこのような番組が作られることこそが権力側か反権力側かはわかりませんが(^^;)誰かの陰謀に思え、「どんなに良さそうな番組を作っていてもNHKの番組は見るべきではない」というような極端な思考につながっていってしまい、その後の議論には転化していきません。確かにそこで思考をストップした方が楽ではあるのですが、個人的には対立するだけでなくお互いの理解を深めるというところまで行ってもらいたいというのが、この番組を作っている人も考えているところだろうと思います。

インターネットと違ってテレビの場合は、そもそもが政府から電波を飛ばすための免許を受けて放送をしていることもあり、あからさまな嘘を流すような事をしないような仕組みもあるので、それなりの取材をしてから報道をしているという事は言えるでしょう。もちろん、取材者の予断が多くのチェックをかいくぐって必ずしも正しくないかも知れない情報をマスコミが出してしまうことはあります。それはマスコミ側の人達も十分承知しているところだと思いますので、単に鬼の首を取ったような感じでその間違いだけを指摘して喜ぶのではなく、なぜ報道が間違ってしまったのかを冷静に指摘するような事がインターネットでの情報発信をしている側にとっては必要になってくるのではないでしょうか。それがこの番組を見た人間がテレビに対してできるフィードバックだと思うのですが。

(番組データ)

100分deメディア論 NHKEテレ
2018/04/22 00:30 ~ 2018/04/22 02:10 (100分)再放送
【講師】
ジャーナリスト…堤未果,「世論」リップマン
東京工業大学リベラルアーツ研究教育…中島岳志,「イスラム報道」サイード
社会学者…大澤真幸,「『空気』の研究」山本七平
作家/明治学院大学教授…高橋源一郎,「一九八四年」オーウェル
【司会】伊集院光,島津有理子,
【朗読】滝藤賢一,
【語り】小口貴子

(番組内容)

激変するメディア状況。作家、ジャーナリスト、社会学者、政治学者などさまざまな視点から「メディアとどう向き合うか」を探りながら、難解な名著を易しく読み解いていく。

時代は私たちのテレビ視聴習慣や紙メディアへの接し方を大きく変えつつある。こんな状況にあって私たちはメディアとどう向き合っていけばよいのか。古今東西の名著では、すでにこうした現状を予言していたような洞察が数多くなされている。作家、ジャーナリスト、社会学者、政治学者などさまざまな視点から「激変するメディアとどう向き合うか」を探りながら、難解な名著を易しく読み解いていく。

天皇陛下にご進講したアマチュア研究者・南方熊楠について

私が南方熊楠という人物の存在を知ったのは教科書からではありませんでした。植物学者として有名な日本人として教科書に載っていたのは南方熊楠でなく牧野富太郎の方でしたし、民俗学の大家として有名なのも柳田国男の方でした。たまたま小中学生用の伝記を読む機会があって南方熊楠の人生を垣間見る機会に恵まれたのですが、明治時代の日本の偉人として夏目漱石や正岡子規という文学の方面で名を成した方や、秋山真之のように海軍軍人として司馬遼太郎の「坂の上の雲」の登場人物としても有名な「大学予備門(東京帝国大学に入学する前段階の教育機関)」と同級生ということですから全国から集まった秀才と肩を並べる存在であったと言えます。

ただし、彼は天才ではありましたが、数学などの計算事がひどく苦手で、そのため全教科をしっかりやらないと東京帝国大学に進学できない大学予備門では数学のテストを白紙で出すなどしたため落第し、以降は学位も取らずに海外渡航をする決心をし、在野の研究者としての生き方を選びました。しかし、そんな中でも戦前の昭和4年に昭和天皇が和歌山県に行幸された時にご進講の栄光にあずかり(昭和天皇の研究内容が熊楠の研究している生物学・植物学で共通していたため熊楠本人が指定された)、熊楠の人生にとっての最大の栄誉となったのです。

その後、この事が人々の記憶から忘れられた中、南方熊楠の事が広く知られるようになったのが、またも昭和天皇の行動がきっかけとなりました。昭和38年の歌会始で披露した「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という人名を読み込んだお歌が出たことで広く全国に南方熊楠という名が認知され、昭和40年になって田辺市に「南方熊楠記念館」がオープン。決してメジャーではないもののその名前は広がっていくことになるのです。恐らく私が最初に読んだ伝記も、こうした流れの中で出版されたものだろうと思います。

さらに時間が経ち、没後50年で著作権フリーとなった平成3年あたりから、再び南方熊楠に光が当たることになります。そんな中で漫画における南方熊楠を取り上げる動きが一斉に起こったことがあり「てんぎゃん」(岸大武郎・少年ジャンプ)、「猫楠 南方熊楠の生涯」(水木しげる ミスターマガジン)、「クマグス」(内田春菊・山村基毅・潮出版社)、「南方熊楠 永遠なるエコロジー」(長谷邦夫・ダイヤモンド社)というように未完を含むさまざまな漫画が出た時がありました。

たまたまそんな時に和歌山県田辺市の天神崎を訪れる機会があり、そこで地元の人たちと夕食中に南方熊楠目当てで田辺に来たという話をしたところ、もし熊楠の生家が見たいなら、一人娘の文枝さんが起きていたら、中に入れてもらって話を聞くといいと思わぬことを言われて、午後8時頃に急いで熊楠の家まで連れて行ってもらったのですが、その時には残念ながら文枝さんは寝てしまっていて、家の中はともかく、直接南方熊楠と言葉を交わした実の娘さんとお会いする機会を永久に失ってしまったことが人生の痛恨事として今でも思い出されます。

今回の知恵泉で紹介された南方熊楠について、田辺市に住んでいる熊楠ゆかりの人の中には、当時4才くらいのお子さんだった方がインタビューに応じていて、一般的に言われた人見知りや感情の浮き沈みが激しく、大人からするとずいぶん気難しいと思われていたという印象ではなく、とにかく小さい子供に対してはおじいさんのように優しかったという話が聞けたのは、直接その人に会ったことのある人に話を聞いたからこその話でしょう。

番組での南方熊楠の人物像というのは、研究で飯を食うプロの研究者ではなく、実家からの援助のみで生活し、研究は自分の好きに膨大な標本や文章を残した「アマチュアの研究者」として語られ、それをゲストで魚の知識と絵の才能が飛び抜けている「さかなクン」の活動になぞらえたり、日本のブログ創世記からブログを始めて、今では大変多くの読者を誇る中川翔子さんのブログによる日々の何気ない記録の中に、もしかしたらダイヤモンドの原石のようなお宝が隠れているかも知れないという「南方曼荼羅」と言われる南方熊楠の世界観の話へとつなげていて、これはこれで、良い南方熊楠入門の番組ではないかと思えました。

ただ、番組ではテレビ初公開となる熊楠に対する観察日記を亡くなるまで付け続けた奥さんの松枝さんと、私がすんでのところでお会いできなかった娘さんの文枝さんを中心に紹介するにとどまっていたので、田辺市での様々な人々との交流や悲痛な息子さんとのお話についてかなり踏み込んで描いている水木しげるさんの「猫楠」が次のテキストとしておすすめだと思いますし、もっと細かい事を知りたい場合には、講談社現代新書の「南方熊楠を知る事典」があるのですがネット上では版元では絶版なので以下のページで一部限定ながら公開されていますので、興味のある方はご覧になってみて下さい。

http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/jiten.html

私が南方熊楠に憧憬する理由としては、この方は自然破壊を進める神社合祀の動きや、新しく森を切り開いた開発を嫌うのに、当時の日本はおろか、過去に滞在していたロンドンとの通信で雑誌「Nature」に寄稿するなど、当時の通信の窓口であった郵便局が新しく作られる事には決して反対しなかったというような、権威におもねらずえらく人間的な欲望の赴くままに研究をされていた姿勢に惹かれているという事があります。

熊楠は植物や粘菌の標本を作るのに、実物を観察してそのままの姿を絵として書き残していたのですが、今の時代ならデジカメで写真を撮り文章はキーボードから書けば手書きよりも早く正確に書け、インターネットが引かれていれば即時に全世界に公開したりメールでのやり取りが可能になるということで、熊楠は研究に要する時間を相当節約できたのではないか指摘する方もいます。しかし、明治以前に熊楠が生まれていたら鎖国の中でその才能は埋没していた可能性が高いでしょうし、今も熊楠のお宅に眠っている膨大な標本はまだ分類されていないものもあると言われます。ネットがあったらあったで、さらにその研究の内容は広がりを見せることになって後に残った人たちにとってはさらに研究がしずらい中味が何だかわからない膨大な資料を残してしまった可能性もあります。今のところは、熊楠の残した資料をどう分類して今の研究に活用するかということが、それこそ今を生きる人間にとって熊楠が突きつけている課題ではないかと思います。

しかしながら毎日を生きるのに精一杯でテレビを見るしか取り柄のない私などは何をやっているかと言われそうではありますが、このように一体誰が読んでいるかわからない駄文を綴っていてもその場限りにはしないで、ブログとしてアップしておくことの大切さを熊楠は教えてくれているように思います。テレビの事についてブログで書こうと思った時にまず考えたのは、どちらにしても何時どこのテレビ局でどんな番組が放送されたかという記録はインターネット上で入手することができるだろうと思い、それを見てどのように考え、当時はどんな社会の状況だったかとか、今も思い付くままに長ったらしく書いていったものの中には、未来の人が当時のテレビや社会を分析するに当たってのヒントぐらいは残せるのではないかと思ったからです。

今回の番組は単に「南方熊楠」というキーワードで見付けて自分の好きな人物だったので見ただけで、当初はここで報告するような事は何もないのではないかと思っていたのですが、ブログを同じように書いている人がいたとしたら、たとえそれが毎日数人しか見に来ないブログであっても、途中で止めないで記録として続けることの大切さはどんなブログでも必ずあることを申し添えておきます。インターネット上にはたとえ自分がブログをやめて内容を消しても、過去に遡ってその内容を記録しているサイトもあります。どんなブログでも記録として残り、その内容がもしかしたらとんでもない未来になって必要となる情報になる可能性もあると考えつつ、ブログを書いていくのも面白いのではないでしょうか。

(番組データ)

先人たちの底力 知恵泉「この世のすべてが知りたい!南方熊楠 超人の作り方」NHKEテレ
12/19 (火) 22:00 ~ 22:45 (45分)
【司会】二宮直輝
【ゲスト】中川翔子,東京海洋大学客員准教授…さかなクン,南方熊楠顕彰会学術部長…田村義也,

(番組内容)

「知の巨人」「日本人の可能性の極限」そんな称賛の言葉が並ぶ、明治~昭和の天才学者、“超人”南方熊楠。ところが弱点もたくさんあったため、大学や研究機関で大活躍!とはいかなかった。学問の専門を絞れない、極端な人見知り、常識外れの行動…。そんな熊楠が思う存分、実力を発揮できた環境とは、いったい?これまで未公開だった熊楠の妻の日記が、今回初公開!知られざる熊楠の素顔と、天才性発揮の秘密を明らかにする。