月別アーカイブ: 2019年9月

ボーカロイド「美空ひばり」は実現するのか?

データを音声に変換する「ボーカロイド」を作ったYAMAHAの技術者が全面協力し、番組タイトルにあるようにAI(自工知能)の技術を使い、できるだけ自然な人間の声に近づけようとして人工的に作った、すでにこの世の人ではない「美空ひばり」の歌を再現することはできるのか? というのが番組の目的で、そのボーカロイドに歌わせるための新曲は秋元康氏が中心になってさらに新曲の詞も秋元氏が書くということで、この番組は成立しています。

さらに、NHKのスタジオで完成披露と番組のラストとして新曲を紹介した際に、動く「美空ひばり」をCGによるホログラムで再現しています。動きの参考として天童よしみさんに今回披露した新曲を歌ってもらい、その仕草をCG作成の参考にしていました。

番組は完成披露したことで終了してしまいましたが、肝心の令和初の美空ひばりの新曲というのはどんな風になっているのかと思ったら、亡くなった頃からの時間の経過とも関係あるのか、ひばりさんが生きている時には決して歌いそうもない曲調のもので、ただ詞は秋元康さんの作品らしく実にわかりやすいもので、曲の間に入った「語り」をそれらしく聞かせるためのYAMAHAの技術者の苦労というものも紹介されていました。

当然、今回新しく作られた曲は美空ひばりさんの持ち歌としてはカウントされませんし、今の状況ではAIを駆使して機械で美空ひばりさんの色を再現しても、上手なものまね芸人にも劣るレベルではあります。しかし、個人的には今回のような番組が作られたことで、さらなるボーカロイドの可能性が出てきたような気もするので、生身の人間の歌とは違ったボーカロイドAIを使った「美空ひばり」という新しい音色が一般的になればという期待を感じてしまったことも確かです。

今後、ひばりプロダクションが許すかどうかわかりませんが、ボーカロイドで歌う「初音ミク」のように「美空ひばり」バージョンの音源が市販され、誰でもネット上で著作権の切れた楽曲や自作の曲を美空ひばり風に表現できるようになると、これはこれでまた面白くなるような気がします。美空ひばりさんは単なる演歌歌手ではなくポップスやジャズも器用に歌いますし、その声質はきわめて日本的と言えるということから、日本発の新しい音楽が美空ひばりさんの声質で歌われた時、改めて彼女の過去の楽曲が注目されることになるでしょうし、同時にそこから派生した新しい音楽が生まれる可能性もあります。

音楽の面白いところは、事前にきちんと今回の番組のように準備されて多くの人の手がかかったから良い作品が生まれるということではないということがあります。美空ひばりさんの代表曲の中に「リンゴ追分」がありますが、この曲は単にラジオドラマを作る過程の中でやっつけ的に作ったものに過ぎず、歌詞の内容も「リンゴの花びらが月夜の風に散った」という単純なものです。その詞と曲に美空ひばりさんが魂を込めたことにより大ヒットしたのですから不思議です。そんな化学反応が、個人で細々と音楽を作っているクリエイターが美空ひばりさんの声でボーカロイドに歌わせることで起こったとしたらそれはそれで素晴しいことです。ボーカロイドの性能も今後より進化していくでしょうし、新しい技術を人の手が妨げることのないように、少なくともこの番組に関わった方は考えていただけると幸いです。

(番組データ)

2019/09/29 21:00 ~ 2019/09/29 21:50 (50分)NHK総合
NHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」
【出演】秋元康,天童よしみ,森英恵,
【語り】三浦大知

(番組内容)

昭和の歌姫・美空ひばりが“復活”。秋元康プロデュースの新曲をAIひばりが熱唱する。人工知能は人々の心を揺さぶる感動を生むのか?今夜、歌謡史の新たな扉が開く。

美空ひばりさんがこの世を去って30年。NHKやレコード会社に残る音源や映像をもとに、人工知能・AIでひばりを現代によみがえらせるプロジェクト。国内最高レベルの技術者がAIを開発。新曲の作詞は秋元康、衣装デザインは森英恵、振り付けは天童よしみという強力布陣。令和の時代に現れる“AIひばり”が歌うのは、これまでにない曲調の新曲。歌声や表現力はどこまで再現できるのか。あなたの目と耳で確かめてください。


結成30年の「渋さ知らズ」をテレビで見られる幸せ

知らない人は全く知らないものの、その存在を知っている人なら詳しく知っているバンドというのは、オリジナリティがあり長く続けている良質のバンドだと思うのですが、今回紹介する「渋さ知らズ」というバンド形態の集団のパフォーマンスを記録したのがこの番組でした。何と「渋さ知らズ」は結成30年が経ったということで、改めて衰えないパワーにその存在感の大きさを改めて感じました。

この番組は、CSでの放送なのですが、私は本放送を見ていません。どういう基準で選ばれたのかはわかりませんが、民放の見逃し配信をネットで一定期間見られるサービスの「TVer」で、しかも無料で見られるというのは本当に嬉しく、ネット配信では85分間だった箱根彫刻の森美術館でのライブに見入ってしまいました。

渋さ知らズの楽曲というのはほとんどが歌なしのもので、分かりやすく踊りやすいテーマをひとしきり流した後は、参加メンバーのソロ回しという、ちょっとジャズ的な展開になるので長尺の曲が多く、ロックフェスのようにずっと縦ノリの気分でという感じではありません。地上波のテレビで1コーラス流されて終わるヒットソングを聴き慣れている人からすると最初びっくりするもののだんだん退屈になり、そしてまた盛り上がるというような感じで曲が進んでいくのでかなり戸惑うことが多いのではないでしょうか。

さらに、渋さ知らズのメンバーは楽器を演奏する人だけでなく大きな人形を動かしたり自分の体を使ってパフォーマンスをしたりというような、様々な人がステージに入り乱れるように集まっています。初見ならまさに一昔前の「見せ物小屋」の中を覗くようなドキドキ感のある、今の日本のミュージックシーンでは珍しい音楽パフォーマンスではないかと個人的には思っています。

今回は音だけではなく、演奏場所となるテントを建てるところから、観客の様子にもカメラを向けながら、どのようにして渋さ知らズのパフォーマンスが作られ、どんな人が楽しんでいるのかということがわかるような構成になっていましたが、当然のごとくたまたま彫刻の森美術館に来館した人を除けば、結成30年ということで長年応援してきた年季の入ったファンの方々の姿が目立ちました。今回のテレビ放送が実現したのも、ある程度のコアなファンが番組を作っている側にもいるということになるのでしょうし、CSとはいえきちんとそのライブが放送され、その番組が一定の時期だけとは言え、ネット上から誰でも見られるような形でアップされていたというのは、渋さ知らズの音楽をもっと広く発信していきたいという志の表れという感じもしました。

私自身は結成当初から渋さ知らズの事は知っていて、番組では2体目のサキソフォンを吹く人形として登場した、メンバーの故・片山広明さん(ts)が登場したのには驚きとともにほろっとしました。本当はこの番組で吹きまくる片山さんの姿を見たかったと思うのは私だけではないでしょう。そうした想いを形にしたメンバーの表現というのは素晴らしいと思いますし、今後もこうしたパフォーマンスは続けて欲しいなと素直に思いました。

実際の演奏場面で印象に残ったのは、多分オリジナルのメンバーだと思われるギターの石渡明廣のソロでした。他の人々はホーンセクションが主だったので、立って勢いよく演奏するため目立つのですが、石渡さんはあえて立つこともせずに淡々と、でも熱いソロを延々と続ける姿に、こういう人もいて、ステージ前面で目立つ人もいて、渋さ知らズというユニットが成り立っているんだなと思い、機会を見付けてライブを見に行ってみたいものだと感じましたね(^^)。

ただこれはテレビの番組の中のライブだったので、掛け値なしのライブ感をそのまま感じることができたわけではありません。番組内でちょっと流れていた、林栄一さん作の「ナーダム」が流れていましたが、この曲は林さんのソロアルバムで聴いて以来の好きな曲なので、渋さ知らズの「ナーダム」もちゃんと聴きたかったなというところではあります。

そうは言ってもテレビというのはあくまで現実を写すショーウィンドウという側面があるので、この番組やTVerを見た人にとって、もし好運にも「渋さ知らズ」という人たちの事を知ってくれる人がいたとしたら、地上波のテレビでは収まらない音というものの存在を十分に感じさせたのではないかと思います。

もしこの文章を読んで「渋さ知らズ」というものに興味を持つ方がいましたら、同名でYou Tubeで検索をかければ、この番組よりも短いものの彼らのパフォーマンスを記録した動画をいくつも見付けられるでしょう。できれば、動画だけで満足せず、さらにはテレビのライブだけで良しとせずに、実際にライブパフォーマンスが近くで行なわれていたら、足を運んでみて下さい。

(番組データ)

渋さ知らズオーケストラ×彫刻の森美術館「箱根渋天幕芸術祭」フジテレビNEXT ライブ・プレミアム
2019/09/17 01:00 ~ 2019/09/17 02:30 (90分)

(番組内容)

彫刻の森美術館開館50周年を記念して開催された「箱根渋天幕芸術祭」。夕暮れのライブステージの模様をお届け
<収録>2019年8月24日(土)〜彫刻の森美術館


ナーバスな題材でも事実隠蔽は反発を招くだけ

このカテゴリーで前回書かせていただいた「ベルリンオリンピック陸上競技」の内容がドラマについにのってきました。前回のロサンゼルスオリンピックと比べるとベルリンオリンピックでは公式の記録映画が作られたこともあり、選手は吹き替えではなく一部本当の競技の内容を記録した映画のシーンを使っていました。

一部というのは実は、当時の機材では日没後に競技が延長されて続いた棒高跳びについては記録できなかったためで、映画や当番組で使われた日本の大江季雄、西田修平の跳躍については、翌日改めて競技の様子を映画用に録り直したものでありました。

ただ、前回の内容でちょっと触れましたが、やはりというかこの大河ドラマでは、メダル獲得者以外は興味がないようで、三段跳びの田島直人選手は出てきましたが、5千メートルと1万メートルでともに4位に入り、現地でも大人気だった村社講平選手の存在は全く出てきませんでした。

そして、ドラマのコンセプトであるマラソンについては、これも記録映画に残っているものをそのまま流し、金メダル孫基禎選手、銅メダル南昇龍選手のメダル獲得と、それまで日本マラソン界がなしえなかったオリンピックの金メダルと複数メダル獲得の快挙を伝えました。

番組の中では日本の放送席の隣に陣取っていた優勝候補のザバラ選手の母国であるアルゼンチンのクルーが、ザバラ選手の途中棄権がわかると、そのまま放送を終了して帰ってしまったことが出てきましたが、これは当時のNHKアナウンサーの証言そのものです。また、オリンピックのマラソン中継は、スタートの部分を実況したもののそこで放送は中断し、レースが終わってから改めて放送されたということも事実に即しています。当時の取材では全コースの模様をつぶさに実況できるような事はできなかったということで、恐らくドラマで表現されたような怒号のあとの歓喜というものは日本のあちこちで起こったものだと思われます。

マラソン金と銅の孫・南選手は当時は日韓併合の渦中にあった朝鮮半島出身のランナーで、いわゆる「金栗足袋」を履いての快挙であることも間違いありませんが、前回の放送から播磨屋の店頭に両選手が金栗足袋を履いていてオリンピック代表に決まったというくだりが実は正確ではありません。この点は日韓両国にとって実にナイーブな内容を含むのですが、今回の放送でメダルを取ったことがわかった後、一瞬「今回のメダル獲得は朝鮮半島出身ランナーの快挙で日本人選手ではない」ことに残念がる気分が広がったのですが、そうした当時の日本人の気分を忖度したのか、実は日本選手団が出発する時にもマラソン日本代表は決まっていない状態だったのです。

話はマラソン代表の選考会の時にまで遡るのですが、当時孫基禎選手は、以前から他の競技で活躍していた同じ朝鮮半島出身の先輩から、とんでもない情報を入手します。当時、選考会前に孫基禎選手は当時の世界新記録を出しており、マラソン代表は間違いなしと言われていました。朝鮮半島出身のランナーとしては今回紹介された南選手は実力的に孫選手に次ぐ力があっても、出場枠の3には入らず、当時の日本陸連は日本人選手2名を選ぶというのです。その話を逆手に取るような結果に選考会レースはなってしまうのですが、その結果は南選手が一位、孫選手が二位ということになってしまったのです。

普通に考えると世界記録を持っている孫選手を落とすことができず、さらに日本陸連のメンツにかけても朝鮮半島出身のランナーが代表で2名入ることは避けたいと思ったのかどうかはわかりませんが、ベルリンに派遣する選手は朝鮮半島の選手2名、日本選手2名とし、大会出場の3名はベルリン現地で行なう30キロの現地予選で決定するとしました。

こうした当時の日本陸連の選手選考における不可解さはそれこそ最近の日本のマラソン代表選考にも影響を及ぼしていたようにも思います。しかしドラマでは孫・南選手が大会に派遣される前から日本代表になっているかのような流れになっています。

この辺は2019年現在の日本と韓国との主に政府同士の関係の悪さもあり、史実をそのままドラマ化するよりもある程度フィクションを入れながら描いた方がいいという考えあってのことかも知れませんが、日本人が朝鮮半島出身のランナーに勝てないという状況の中で、露骨な日本人贔屓をした事実は事実として、それら多くの忖度による代表選考が続いたことの反省のもとで2020年東京オリンピック代表選考の一発選考「マラソン・グランド・チャンピオンシップ」が生まれたということもあるので、そうした背景とともに過去の歴史を学習する機会になれば良かったのではという気がしてしまうのです。

個人的には今回の内容自体がニュース配信され、さらなる日韓両国の関係悪化につながるような事にはなって欲しくないですね。まさか放送のあるタイミングで日本と韓国に関する騒動が加熱しているとは制作者側にとっては想定外だったかも知れませんが、この問題はシナリオを書く前から問題としては続いていたと思うので、今後に遺恨の種を残す可能性もある一連の放送ではなく、せめてドラマ終了後のミニコーナーの中ででも、きちんと日本側から見た当時の国内の状況をきちんと説明して欲しかったと思っています。

(番組データ)

いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~(35)「民族の祭典」NHK総合
2019/09/15 20:00 ~ 2019/09/15 20:45 (45分)
【出演】阿部サダヲ,中村勘九郎,上白石萌歌,柄本佑,杉咲花,仲野太賀,森山未來,神木隆之介,荒川良々,川栄李奈,トータス松本,リリー・フランキー,三宅弘城,皆川猿時,塚本晋也,薬師丸ひろ子ほか
【作】宮藤官九郎

(番組内容)

ベルリンオリンピックはナチスが総力をあげ運営する大規模な大会となり、田畑(阿部サダヲ)を圧倒し当惑させる。IOC総会では治五郎(役所広司)が日本開催を訴える。

1936年夏。ベルリンで4年後の次回大会の開催地を決めるIOC総会が始まり、嘉納治五郎(役所広司)は「日本で平和の祭典を!」と熱く訴える。その直後に開幕したベルリンオリンピックは政権を握るナチスが総力をあげて運営する大規模な大会となり、田畑政治(阿部サダヲ)を圧倒し当惑させる。マラソンでは金栗四三(中村勘九郎)と同じハリマヤ足袋を履くランナーが出場。水泳では前畑秀子(上白石萌歌)のレースが迫る。


アスリートとメディアの関係を掘り下げないと何も変わらない

2019年9月15日に行なわれる、2020年東京オリンピックマラソン代表を決める一発勝負、マラソングランドチャンピオンシップについて生放送する中で、かつて一発選考とされていた日本陸連の選考基準が変えられたソウルオリンピック男子代表の選考についてのVTRによる解説がされたのですが、その内容に気にかかることがありました。

当時、代表有力だったダイエー所属の中山竹道選手がインタビューに答えた週刊誌の記事が画面に大写しなり、選考レースである福岡国際に怪我のため出場が不可能となった瀬古利彦選手に向かって「這ってでも出てこい」と中山選手が発言したかのような当時と同じ内容を報じていましたが、あれから相当の時間が経ち、当時の状況を当時者が説明した本も出版される中、この内容についてそのままVTRにしてしまうのはいかがなものなのかという気がしたのです。

というのも、私自身はその後の中山竹道氏へのインタビューを読んだのですが、その中で言った言葉は「這ってでも出てこい」ではなく「自分なら這ってでも出ますけどね」というニュアンスの違いが今となっては明らかな事実として認識されています。その発言には瀬古利彦選手への敵意はなく、あくまで自分の心情を述べているだけなのですが、当時のマスコミはこの週刊誌の内容に沿って中山選手のイメージを作ってしまったのです。

当時のマスコミは、いわゆる「空白の一日」事件で悪役となったプロ野球読売ジャイアンツの江川卓選手のように、それまでの経緯や直接発言した内容を捻じ曲げたり肝心な事を紹介しなかったりしてまで、テレビの視聴率を上げたり、雑誌の売り上げを伸ばそうとしたり、そんな時代背景の中マラソンに関する話題もヒートアップしていったのだろうと思います。しかし、あらゆる報道の裏側が明らかになった2019年の今、まだ中山竹道氏の発言についての裏取りをしないで週刊誌報道をそのままVTRにして出してしまうのか、本当に理解に苦しむとともに、この番組に関わった人の中には本気で陸上競技を愛している人がいないのではないかと思ってしまいました。

ただ、番組が生放送で、VTRの最中に抗議の電話が局に入ったのか入らなかったのか、その真偽はわかりませんが、VTRが終わった後にスタジオでの話になった際、MCの安住紳一郎アナウンサーが有森裕子さんに振るような形でその話を出し、「自分なら這ってでも……」という内容を紹介したにとどまりました。本当ならソウルオリンピックに出場した瀬古利彦選手と不可解な選考基準によって落選した工藤一彦氏とのVTR対面を間接的に演出するよりも、当時の記事を湾曲して週刊誌に掲載した責任者が中山竹道氏のところに行って直接謝罪させるくらいの方が良かったのではないかと思います。ちなみに、スタジオの後ろに設置されている過去の内容を写真とともに紹介したパネルには「瀬古、這ってでも福岡へ来い!」という文字が刻まれていました。これはあくまで個人的な印象ですが、上記のコメントは用意されたものでなく、前半の内容についての批判の声が入ったから急遽行なわれたものではないかと思えて仕方ありません。

いつの世も、売らんがなのために実際の取材内容と微妙にニュアンスを変えて報道するマスコミはいるものですが、今回のマラソングランドチャンピオンシップについても、事前・事後に何らかのマスコミが起因する問題が起こった場合、TBSはどのように報道するのかということまで考えてしまった今回の放送でした。

(番組データ)

マラソン・グランド・チャンピオンシップ 東京五輪代表を懸けた運命の決戦へ TBS
2019年9月11日(水) 20時00分~22時00分(120分)
MC:安住紳一郎、江藤愛 ゲスト:有森裕子、高橋尚子、原晋、土田晃之
ドラマ:徳重聡、三浦理恵子、武井壮、佐藤真弓、手塚とおる、嶋大輔

(番組内容)

順位なのか、タイムなのか、はたまた実績なのか…。選手も国民もスッキリしない、あいまいな選考システム。その裏には、誰も踏み込めないマラソン界のタブーが存在していた…。ソウル五輪代表選考で、あいまいな選考基準によって、代表の座を逃した悲運の男が生まれたた。この騒動は、日本マラソン界最大の事件として、これまで誰も触れることができなかったのだ。あれから32年、悲劇のランナーが、封印してきた禁断の選考問題を初告白。そして今回、瀬古が長年心にしまっていた思いを初めて彼に伝える。「人生を変えてしまって申し訳なかった…」その思いを聞いた男は…。


CBCテレビ「ゴゴスマ」問題の根底にあるもの

毎日の事件を報道し、番組に出演しているコメンテーターが私見を述べるというのがワイドショーの定番ですが、出演者同士のバトルが大きな騒動になることもままあります。お互いの主義主張が違う中で、放送時間が限られている中で討論するわけですから、時には声が大きくなり、相手を罵倒することもこれまでのテレビの歴史の中では何度も起こってきました。

そんな騒動を引き起こす原因の一つとして、実は主演者同士をまるで闘犬の犬のようにけしかけてハプニング的にバトルを大きくして番組を注目させたいという番組制作側の決して表面には出さない意図というものがあると思います。そうした意図を暗黙のうちに了承し、騒動にならない程度のバトルを繰り広げるある種の「安全なトラブルメーカー」がこうした番組では重宝される傾向があるのですね。それこそ、テレビ朝日の今も続く名物番組である「朝まで生テレビ」の創世記のメンバー、映画監督の大島渚氏などはそうしたテレビ制作側の意図を汲み取って視聴者が寝落ちするのを見計らうように「バカヤロー!」と叫んだりすることは、松尾貴史さんがギャグにしたりしていました。

いわゆる「ヘイトスピーチ」をテレビのコメンテーターが行なうことについてはここでは書きませんが、同じCBCテレビで平日お昼に放送されている「ゴゴスマ」の騒動の一つとなっている東海大学教授の金慶珠氏と、タレントの東国原英夫氏との番組内での言い争い以上の罵倒については、その言動を謝罪した東国原英夫氏の言い訳の中に、喜怒哀楽の激しいキャラクターを演じるタレントと、そうしたキャラクターを出演させることで番組の注目を集めたい番組制作側との蜜月さというのが謝罪の態度にも表われていたような気がしました。

というのは、東国原英夫氏は自身の発言について謝罪したものの、その中で一定の言い訳も付けてきたのです。あらかじめ共演者の顔ぶれがわかっていて、金慶珠氏と共演する予定であることがわかっていれば、決して出演しなかったと発言した点について、事前に番組スタッフから渡された資料に記された出演者一覧の文字が「小さすぎて読めない!」とハズキルーペのCMのような制作サイドへの責任転嫁のような主張をしてきたのです。

個人的にはこの言い訳については、東国原英夫氏の番組サイドへの不信感から出たものではないかと思えます。これは想像でしかありませんが、小さなトラブルを望んでいるところもあるかも知れない番組制作側が、騒動が大きくなり東国原氏およびCBCへの批判が大きくなってくると、手のひらを返すような対応を東国原英夫氏に行なってきたのではないかと考えると、ちくっと番組スタッフに対しての批判を入れながら謝罪を行なった東国原氏の気持ちも少しはわかる気がするのです。

ただ、そのような番組の裏の顔を垣間見せるような言動を、テレビに映っている中でしてしまう人というのは、テレビ制作の側からすると「使いずらい」というイメージが大きくなってしまいます。今後、東国原氏のタレントとしての活動がどうなるかはわかりませんが、今のようにテレビに毎日出てお金を稼ぎたいなら主義主張よりもしっかり反省した体を装った方がいいわけです。

逆に言うと、全く問題を起こさないで適度に言いたいことを言っているようなタレントや文化人というのは、ほとんどテレビ制作側の犬のように、まさに闘犬の犬のようにテレビ画面の中で動かされているという風に捉えた方がいいということでしょう。好き勝手をやっているようでいても決して暴言を吐かないあの人この人というのは多くの人の頭に浮かぶのではないかと思うのですが、そういった人の出演する番組というのは総じて内容が乏しいものだということを今回の騒動は教えてくれたように思います。