CBCテレビ「ゴゴスマ」問題の根底にあるもの

毎日の事件を報道し、番組に出演しているコメンテーターが私見を述べるというのがワイドショーの定番ですが、出演者同士のバトルが大きな騒動になることもままあります。お互いの主義主張が違う中で、放送時間が限られている中で討論するわけですから、時には声が大きくなり、相手を罵倒することもこれまでのテレビの歴史の中では何度も起こってきました。

そんな騒動を引き起こす原因の一つとして、実は主演者同士をまるで闘犬の犬のようにけしかけてハプニング的にバトルを大きくして番組を注目させたいという番組制作側の決して表面には出さない意図というものがあると思います。そうした意図を暗黙のうちに了承し、騒動にならない程度のバトルを繰り広げるある種の「安全なトラブルメーカー」がこうした番組では重宝される傾向があるのですね。それこそ、テレビ朝日の今も続く名物番組である「朝まで生テレビ」の創世記のメンバー、映画監督の大島渚氏などはそうしたテレビ制作側の意図を汲み取って視聴者が寝落ちするのを見計らうように「バカヤロー!」と叫んだりすることは、松尾貴史さんがギャグにしたりしていました。

いわゆる「ヘイトスピーチ」をテレビのコメンテーターが行なうことについてはここでは書きませんが、同じCBCテレビで平日お昼に放送されている「ゴゴスマ」の騒動の一つとなっている東海大学教授の金慶珠氏と、タレントの東国原英夫氏との番組内での言い争い以上の罵倒については、その言動を謝罪した東国原英夫氏の言い訳の中に、喜怒哀楽の激しいキャラクターを演じるタレントと、そうしたキャラクターを出演させることで番組の注目を集めたい番組制作側との蜜月さというのが謝罪の態度にも表われていたような気がしました。

というのは、東国原英夫氏は自身の発言について謝罪したものの、その中で一定の言い訳も付けてきたのです。あらかじめ共演者の顔ぶれがわかっていて、金慶珠氏と共演する予定であることがわかっていれば、決して出演しなかったと発言した点について、事前に番組スタッフから渡された資料に記された出演者一覧の文字が「小さすぎて読めない!」とハズキルーペのCMのような制作サイドへの責任転嫁のような主張をしてきたのです。

個人的にはこの言い訳については、東国原英夫氏の番組サイドへの不信感から出たものではないかと思えます。これは想像でしかありませんが、小さなトラブルを望んでいるところもあるかも知れない番組制作側が、騒動が大きくなり東国原氏およびCBCへの批判が大きくなってくると、手のひらを返すような対応を東国原英夫氏に行なってきたのではないかと考えると、ちくっと番組スタッフに対しての批判を入れながら謝罪を行なった東国原氏の気持ちも少しはわかる気がするのです。

ただ、そのような番組の裏の顔を垣間見せるような言動を、テレビに映っている中でしてしまう人というのは、テレビ制作の側からすると「使いずらい」というイメージが大きくなってしまいます。今後、東国原氏のタレントとしての活動がどうなるかはわかりませんが、今のようにテレビに毎日出てお金を稼ぎたいなら主義主張よりもしっかり反省した体を装った方がいいわけです。

逆に言うと、全く問題を起こさないで適度に言いたいことを言っているようなタレントや文化人というのは、ほとんどテレビ制作側の犬のように、まさに闘犬の犬のようにテレビ画面の中で動かされているという風に捉えた方がいいということでしょう。好き勝手をやっているようでいても決して暴言を吐かないあの人この人というのは多くの人の頭に浮かぶのではないかと思うのですが、そういった人の出演する番組というのは総じて内容が乏しいものだということを今回の騒動は教えてくれたように思います。


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