舛添要一氏の行動からコメンテーターのあり方を考える(3)発言は大声で尺に収める

この文章を書くにあたりまして、過去から現在までの「朝まで生テレビ!」のデータを見ると、舛添要一氏は右派の論客の中だけでなく、全ての出演者の中で比較してもこれまで96回という番組の最多出演記録を誇っているようです。それだけ番組に重宝されたのは、やはりテレビの中の発言についてある程度の説得力を持っていたということがあると思います。

テレビの討論で、自説を視聴者に印象付ける場合、どうしても「時間の問題」というものにつきあたるということがあります。そうした問題を解決するために「朝まで生テレビ!」は深夜から早朝までという当時の討論番組の長さから考えると、かなり思い切った形での長時間のプログラムになっているのですが、出演者が多いのと取りあつかうテーマがかなり突っ込んだものが多かったことから(天皇や宗教など当時はタブーと言われたものが多く取り上げられていました)、これだけ長時間のプログラムでも時間が足らず、さらに出演者の中には言いたい事がまるで言えないまま終了ということもありました。

そんな中で生放送の中、自説をテレビの視聴者に伝えるためにはどうすればいいかという事になりますが、私自身に示唆を与えてくれたのが「朝まで生テレビ!」に出ていた左派の論客で映画監督の大島渚氏の「バカヤロー」という怒りの発言でした。とにかくよく通る声で、深夜の放送のためつい見ながらウトウトしてしまう視聴者対策として行なっているのではないか? という都市伝説もありましたが、大きなよく通る声を出すということは、たとえそれがテレビの中だったとしてもやはりインパクトがあり、話題の中心として自身を認識させるにはこれ以上の方法ではないかと思わせてくれました。

相手が自分から見るとつまらない話をダラダラとしているところでは大声で割って入り、そこからコマーシャルに入るタイミングがそんなに時間がなかったとしても、自説のキーワード先に出しながら、とにかく早口でまくしたてるように主張することで、最後に視聴者の記憶に残る発言になることは確かです。さらに相手より大声を出した方がより自説を多くの人に認知させられるということは疑いの余地はないでしょう。

この法則を知っているテレビに出慣れた人と、初めてテレビに出てきて自説を何とか発言しようとする人がかけ合いになった場合は、かなり悲惨な結果になってしまいます。声が小さく何を言っているかわからないような人であえばなおさら大声で的確に要点を突く人の方に注目が集まり、録画番組なら全く自分の喋ったところが使われないということも起こり得ます。

また、番組が生放送の場合はとにかく視聴者に届く大声でまくし立てた方の勝ちですから、テレビに出る前にしっかりとトレーニングして腹から大きな声をはっきりと出せるようにしておくことが話の内容よりも大切ではないかと思います。

これは舛添氏に限ったことではないですが、コメンテーターとして活躍している方というのは男女関係なく、自分で言いたい事があったら司会者に何を言われようと最後まで大声で自分の意見をテレビカメラに向かってまくしたてることを基本にしているように感じます。そんな場合には相手の立場などかまっている暇はないでしょう。コメンテーター同士の議論になってしまった場合、どちから優勢であるかということは冷静に視聴者によって判断されてしまいますので、強気に出ることが大切だと言えるのではないでしょうか。

ただし、視聴者の中には双方が大声で言い合いになった場合にはそれこそお互いが何を言っているかわからないような状態で放送が終了してしまうように見えることもあり、本来はテレビで物を言うためには仕方ない事であるだけなのに、性格が独善的であると誤った判断をされてしまう恐れがあり、その事を自身に対する批判の材料に使われる可能性はあります。ただ、これもテレビで自説を述べるためには仕方ないところではあるので、SNSなどでフォローをしながら、自分の正当性を訴えていくことも必要になってくる場合も出てくるかも知れません。

※ここまで書かせていただいた内容をリンクの形でまとめさせていただきました。興味のある方はリンク先からもご覧下さい。

(1)恥も外聞も関係なし
(2)ネットサポーターを作れ
(3)発言は大声で尺に収める
(4)常に「仮想敵」を作る
(5)到達点を見際める


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