月別アーカイブ: 2017年12月

Amazon Fire TV StickにWebブラウザを入れて楽しむ

2017年はインターネットに接続したテレビやパソコンに映画やドラマ、バラエティ番組など独自の内容も含むコンテンツを表示することのできるサービスが多く利用開始された年でありました。このブログでも項目を設けさせていただいていますが、最近では無料で利用できるネットテレビや有料のビデオオンデマンドなど、テレビ自体にそうしたビデオオンデマンドが利用できるサービスが組み込まれていて、リモコンにもその選択肢のあるものがあります。

ただ、新しいテレビをまだ買うほどではないものの、新しいサービスを使ってみたいと思っている場合は、テレビやモニターのHDMI端子に差してWi-Fiによるネット接続設定をするだけで自宅のテレビやモニターでネット経由のサービスが使えるハードの導入がおすすめです。

有名なところではGoogleのChromecastと、AmazonのFire TV Stickがありますが、前者はスマホやパソコンに映る画面をそのままテレビに飛ばすようにして映すという仕組みのものであるのに対して、Fire TV Stickの方は最初からリモコンが付いていて、アプリ自体も本体にインストールして様々な事ができる動画再生に特化したコンピューターというような感じです。後は、GoogleやAmazonの提供するサービスを使っているかどうかでどちらが合っているか変わると思うのですが、現状ではAmazonがある意味採算を度外視するような形でプライム会員向けにビデオ・音楽・本の追加料金なしでのサービスを提供していることから、ここではFire TV Stickについて、その活用法を紹介させていただこうかと思います。

まず、Fire TV Stickにインストールできるアプリのうち、テレビ放送の代わりにも使えるサービスを使えるようにする主なアプリについて紹介します。

・「Abema TV」(無料サービスのインターネットテレビ)
・「GYAO!」(無料動画もある動画サイト)
・「dTV」(月額500円の動画サイト)
・「huhu」(日テレ系動画サイト 月額933円)
・「Netflix」(米国発でオリジナル番組も有 月額650円から)
・「スポナビライブ」(Yahoo!のスポーツ動画サイト 月額980円から)
・「DAZN」(Jリーグのスポンサーで他スポーツも 月額1,750円)

なお、この中にYouTubeのアプリがないことに気付かれた方もいるかも知れませんが、YouTubeを始めとするネット動画を見るためにはテレビ上でもリモコンと連動して動くウェブブラウザをインストールすることで使うことができるようになります。個人的なおすすめは「Silk」でしょうか(他にはFire Foxブラウザが使えます)。また、Google IDを持っている場合はログインしてから使えば、パソコンでまとめたお好みの動画をそのままの順番で見られるなど使い勝手が向上するからです。

2つのブラウザが提供されている中、なぜ「Silk」の方を推すかといいますと、こちらの方がサイトの見え方などパソコンに近いレイアウトになっていてページのブックマークも簡単にできるからです。実は私の持っているテレビにも簡易ブラウザが付いているのですが、表示能力については今のパソコンやスマートフォンを使っている身には重くて使いにくく、あえてテレビでネットに接続してみようとは思わないのですが、新たに提供された「Silk」は使い勝手も良く、ちょっとした調べ物ならテレビの画面でも十分できるくらいのクオリティを持っています。

となると、ある程度大画面のテレビを家族で見ている方でしたら、あえてテレビにインターネットブラウザを表示させて情報収集に使ってしまうというテレビの使い方をしても十分耐えうるということにもなります。わざわざパソコンやスマホをテレビに繋げて使うようなことをしなくても、ちょっとした調べ物をするのに使ったり、料理番組を見終った後でレシピの確認に使ったりなど、テレビで番組ホームページにアクセスしてメモをするために使うというような事もできるので、これも一つのテレビの見かたとして活用していくのも面白いのではないかと思います。


地方局発の人気バラエティが一極集中を防ぐ

テレビ放送がネットで常時同時放送されるという話も出る中、全国にある地方テレビ局はどのように生き残っていくのか? という問題の一つの答えが、北海道のHTBが全国展開した「水曜どうでしょう」を始めとするTEAM NACSのメンバーを全面に押し出し、各北海道内の民放が独自番組を自前で作るというものです。

そうした全国区になる地方発の人気バラエティ番組が生まれるというのは、少し前なら考えもできなかったことで、当時は夕方の情報番組こそ地方各局が独自に作っていたものの、バラエティ番組を地方局が制作する場合、普通は東京で活躍する全国的にも認知度のあるタレントを呼んできて局の女性アナウンサーと組ませて地元の旅番組をするくらいがせいぜいだったのが、当時は全く東京へ進出するようなことも考えられなかった若手の舞台俳優を深夜番組の主役に抜擢し、出演者やスタッフも楽しんでいるような番組を作ったことで、それが他の地方にも受けたのです。

その番組を全国のテレビ局に買ってもらったり、さらに北海道で放送している内容とかなりずれて放送されている地域に向けて、かなり早いうちから有料のネット配信を行ない、その売上げは上々だったということです。さらに遅れて来た番組ファンのために、過去の番組をそのままDVDにしたものを、通常の流通で扱わず、コンビニ経由で事前予約をしてから売り出したりして、かなりの確実な儲けを出したのではないかと推測します。

少なくともこうした番組を地元民が見ているうちは、いくら東京の放送局がネットで見られることになったとしても、安易に視聴者はネットに流れないでしょう。改めて時代の変化の中、地域性ということだけでなく、東京の放送局とは違うアプローチで人気番組を作ることが地方局生き残りのためには大切ではないかと思います。

しかし、地方の他局が北海道の手法をそのまま真似ることはできませんし、番組を制作しても見て面白い番組でなければ意味がありません。ご当地だけで笑えるネタのみでは他の地域に番組を売ることはできません。そんな中、静岡朝日テレビ制作の「ピエール瀧のしょんないTV」も「水曜どうでしょう」までは行かないものの、今では全国のテレビで多少見られるようになるほど注目を集めています。ネット局は後追いになるため、リアルタイムに見られるのは静岡県のみというローカルな話題だということもあるので、まずは番組のメインである「ピエール瀧」さんとは一体何者か? というところから説明していきたいと思います。

今ではNHKの朝ドラやビートたけしさんの映画などでも主要な役で出演するなど、面白いだけでなくシリアスな芝居もできる役者というイメージが付いているピエール瀧さんですが、元々はメジャーデビューして様々な音楽番組にも出演している「電気グルーヴ」の結成当時からのメンバーとして、そのステージパフォーマンスには定評がありました。今では星野源さんや朝ドラで瀧さんと共演もしていた浜野謙太さんなど、ミュージシャンであり俳優という方がかなり活躍しているという事があるのですが、ピエール瀧さんの場合はそうした方とは決定的に違う部分があります。

というのも静岡県内で過ごした高校時代から付き合いがあり、一緒にバンド活動を行なっていた石野卓球さんがそれまでやっていた地元の友人を中心に集まったインディーズバンドの活動を止めて新たに「電気グルーヴ」を作る時に、唯一誘ったのが当時楽器ができなかった瀧さんであったのだそうです。電気グルーヴの音は基本的にコンピューターソフトによる打ち込み(自動演奏)であることもあり、とにかくステージではじけることのできるパワーを持った瀧さんに白羽の矢を立てたのでしょう。

電気グルーヴはあれよあれよという間に人気が出てメジャーデビューにこぎつけ、さらにその面白さをライブを見たことのない多くの人達に知らしめたのが、石野卓球さんとピエール瀧さんが二人でパーソナリティを務めたニッポン放送のオールナイトニッポンに起用されたことでした。当初はユーミンの後の土曜の2部だったものの当時のとんねるずから引き継ぐ形で火曜1部に昇格し、今でもその面白さについて語られる事も多くなっています。

ですから、ピエール瀧さんの面白さというのは、学生時代からのセンスももちろんあるとは思いますが、電気グルーヴとしてのライブやラジオでの喋りを通して鍛えられた一代限りの叩き上げの芸と言えないこともありません。さらに、彼らの活動が全国的に面白いと評価されたことについて、いわゆるお笑いの本場ということでもない単なる田舎の学校生活や友達同士のバカ話をラジオで喋っていても、受けるものは受けるのだという想いをラジオで人気があった頃から私は持っていました。つまり、日本全国どこで生まれて育ったとしても面白い人は面白いですし、そういう人材を地域で育てることができれば、静岡だろうと北海道だろうと全国区へ出しても十分通用するものが作れるのではないかということです。

しばらくは東京を中心にして電気グルーヴとして活動していたピエール瀧さんでしたが、オールナイトニッポン終了後には私的にはその動向は音楽番組での演奏くらいでしかその活動を確認できなかったのですが、唐突にオールナイトニッポンの時に構成をしていた静岡時代の仲間である椎名基樹さんをスタッフに加えて2010年10月から放送が開始されたのが「ピエール瀧のしょんないTV」だったというわけです。

オールナイトニッポンは収録でなく生でやられていましたし、ライブ自体は生ですので、そうした状況で鍛えられていることもあり、特にピエール瀧さんには共演者いじりのうまさを感じることが多いのですが、この番組を支えてきたもう一つの個性が静岡朝日テレビアナウンサーの広瀬麻知子さんです。

当時彼女は入社したての新人アナウンサーで、テレビ局としては同期入社で後に東京へ仕事の場を移した(セント・フォース)牧野結美アナウンサーとどちらをピエール瀧さんと番組をやるアシスタントとして起用するか二択の中、局側が広瀬さんを選んだというのが彼女らの人生の転機になったような感じが今ではします。彼女は千葉県の出身で静岡県とは何のつながりもありませんが、きっちりその場を仕切るような感じではなく、収録中もぼーっとしていて瀧さんにつっこまれるほどおっとりしている部分と、いざ何かをやらされるような状況になっても本気で取り組むような明るさと真面目さが同居していて、静岡県人的なパーソナリティを持っているのでは? と思える不思議なアナウンサーです。そんな広瀬さんはピエール瀧さんにとっては扱いやすく、番組のマスコット的な存在として二人のコンビがうまく回転していく中、番組自体の人気も出てきたように思います。

そうして「しょんないTV」が地方の放送局に売れて各地て見られるようになる中、広瀬アナウンサーは地元の期待を背負って単身でテレビ朝日の「アメトーーク!」に出演したこともありましたが、やはりというかその魅力をアメトーーク!の中では発揮することはできませんでした。あくまでピエール瀧さんと一緒に番組をやる中で欠くことのできない存在であるということ認識を新たにされることで、彼女自身もその後身の丈をわきまえて努力をし、番組自体がマンネリに陥ることにもならずにここまで続いてきています。

番組の内容はたまには静岡県外へ出ることもありますが、ほとんどが静岡県内でロケをして地元の人たちとからむという、あまり全国的な基準で見ても情報的には得られないのではないかとも思うのですが、ピエール瀧さん自体が全国区で顔が売れているということと、いいコンビの広瀬アナやゲスト、ロケ先で出会った人をいじって笑いを導くことがうまいということと、まだ知名度はないものの面白い出演者を選ぶスタッフの力もあるのではないかと思います。思い出したように出てくる元・電気グルーヴメンバーの砂原良徳さんや、元々は地元が静岡県ということで出場していたピン芸人のハリウッドザコシショウも何回か出場しているうちにすっかりその魅力が引き出され、今では準レギュラー扱いになるなど恐らく番組のファンなら彼がR-1グランプリで優勝する前からその面白さに気付いていたと思われます。

今回は年末特番ということでこの一年の放送を紹介しながら振り返るという内容なので、あえてこの内容に感想を語ることもないのですが(^^;)、番組が始まってから丸7年というのですからよく続いていると思いますし、今後ピエール瀧さんがテレビで露出度を増やせば、さらに面白い展開も出てくるように思います。番組の公式ページによると、静岡県を除く全国の14局でも見ることができているようです。元々全国進出の戦略を練って作られた番組ではないと思うので、「水曜どうでしょう」のように爆発的な人気になることはないとは思いますが、単に地元愛にあふれた一人よがりの番組ではなく、出演者やスタッフが面白がりながらやっている番組として、見る機会がありましたらとりあえず最後まで見ていただきたい番組であると思っています。

今回はあえて私の住む静岡県での事例を紹介させていただきましたが、全国の他の地方のテレビ局も、もっと地元の面白い人や、地元から巣立って全国で活躍している人を呼び戻す形で東京にはない新たな番組作りに挑戦していただきたいと思います。特に地方からテレビを見ていると、どうしても地方民にとってはわからない東京周辺の範囲の狭いネタで盛り上がっているだけのバラエティを購入して放送している地方局もあるので(実際行こうと思っても放送している地方によってはそのお店に簡単には行けませんし、放送時期がずれているとテレビに出ていた特典が終了していることもしょっちゅうです)、それならその空いた時間に自社制作の番組をぶつけてもっとテレビ局が主導して地元を盛り上げるような事があってもいいのではないかと思うのです。特に東京に行くのがなかなか難しいような地域の場合は、多くのチャンスに恵れていると思うのですが。

(番組データ)

ピエール瀧のしょんないTV 年末1時間SP今年のしょんない瞬間一挙大公開スペシャル 静岡朝日テレビ
12/22 (金) 0:20 ~ 1:15 (55分)
【出演】ピエール瀧、広瀬麻知子(あさひテレビアナウンサー)

(番組内容)

しょんないことに真実がある!「くだらないけどどこか許せる」「取るに足らないけど、どこか愛嬌があって憎めない」そんな“愛すべきくだらなさ”『しょんない』を追求する番組です。

なんだかんだ色々あった、この1年間を総ざらい!今年も大胆に「ピエール瀧のしょんないTV」1時間スペシャルを放送しちゃいます。気になる「瞬間最高占拠率ランキング」や「瀧さんの○○映像」、「広瀬アナの2017年」などなど、貴重な映像を一挙大公開!! 果たして、あなたが選ぶ”しょんない名場面”はノミネートされているのか…さぁ皆さん、これを見て、ゆる~く年の瀬を迎えちゃおう!


今年は「ブリリアン」が地獄を見た‥‥

2017年にはこの番組の後に黒柳徹子さんの自伝ドラマ「トットちゃん」が放送されている中、テレビ創成期から今までのテレビに関わっているテレビ界の伝説とも言えない事もない黒柳徹子さんの存在は誰もかなわないところがあります。そんな黒柳さんの司会をする「徹子の部屋」に、まだ自分たちの足元もおぼつかないと思われる、その年にブレイクした芸人を迎えて、その「芸」を披露するという触れ込みで紹介し話を聞くのが毎年のパターンなのですが、そこは芸人にとっては大変な試練の場としても多くの人から認識されるようになってきました。これは同じテレビ朝日系の深夜番組「アメトーーク!」によって黒柳徹子さんが「芸人殺し」だという禁断の事実を公表したことにはじまります。

元々、黒柳さんは自分のタレントとしての才能だけではなく、新たなお笑いの才能を見付け出すことにおいてもその才能を発揮してきました。有名な話として、タモリさんがまだ全くの素人だった頃、ジャズピアニストの山下洋輔さんのツアー先の打ち上げで面白芸を披露し、そのままメンバーと一緒に上京して山下さんの行き付けのバーでその芸を披露していたのを漫画家の赤塚不二夫さんが面白がり、自分の出る予定のテレビ番組にいきなり出してその宴会芸をさせたことがあったのだそうです。放送されたそのテレビを見ていた黒柳さんがすぐに関係者に電話で連絡を取ったという話があり、ある意味タモリさんの芸をテレビで見て一番早く評価した人間として一部では認知されているということもあります。

そんな過去があるからだと思うのですが、その年に売れた芸人を自分の番組に呼んでネタをしてもらうのですが、とにかくお笑いに関する勘が鋭いので、多少のノリで面白いことをやってもまるで笑わず、それまで受けたネタを一通りやり尽くした芸人たちに向かって、改めて「面白い事をやって」とお願いするという、地獄のネタ披露が番組内で毎年繰り広げられる状況が続いています。

そうした状況をネタにしたのが先に挙げた「アメトーーク!」で、小島よしおさんが徹子の部屋の収録をする直前に、どうすれば地獄から逃れられるかという風な相談からシミュレーションが繰り広げられたのです。そのシミュレーションの中で、小島よしおさんが、黒柳徹子さんがどのゲストに話を聞くために作った(恐らくスタッフが事前に調べた内容なのではないかと個人的には思います)メモがぞんざいにテーブルの上に何枚も広げられているので、自然な感じでテーブルの上の飲み物をこぼしてしまい、インタビューのためのメモを台無しにすれば黒柳さんはメモがないと番組は進行できないだろうからネタの無茶振りもなくなるのではないかと考えたものの、実際の出演時にはメモを台無しにはできませんでした(^^;)。

しかし、誰かがその後干されることを覚悟して黒柳さんのメモを破ったり食べてしまったりしたらどうなるのか? という期待は大変無責任な発言とはわかっていてもテレビを見ている側としてはそこでアタフタする黒柳さんが見たいという気持ちもあります。

さて、今年の生贄となったのは2017年の1月1日放送の「おもしろ荘」からブレイクした「ブルゾンちえみwithB」でした。そのネタは案外黒柳さんのお気に召したようだということと、意外とブルゾンちえみさんがしっかりとインタビューに答えていたのでそんなに波風も立たずに番組は進んだのですが、さすが芸人殺しと陰口を叩かれる黒柳さんだけあって、「withB」としてブルゾンちえみさんとセットで出ている男性二人が「ブリリアン」というお笑いコンビであることを知ると、テレビを見ている人のほとんどがネタをやらせない方がいいと思いながら見ているのに、「ネタをやって見せて」という禁断の一言を口にしてしまったのでした。

私自身はブリリアンが今回披露したネタは「しゃべくり007」(日本テレビ)の中のコーナーでやって思いっ切りすべっているネタと同じだと思いながら見ていましたから、冗談ではなく「ここからが地獄の始まりだ」と思いながら見ていましたが案の上でした。その半面、ブルゾンちえみさんはうまく地獄を免れたとも思えました。毎年の恒例とは言っても、来年ブレイクした芸人さんがまた無茶振りをされて地獄を見ることが既定路線になっている中ではありますが、あえて来年の今頃に地獄を見る芸人は誰なのかを考えながら、まずは年またぎの「おもしろ荘」を見るのもいいのではないでしょうか。

(番組データ)

徹子の部屋 ブルゾンちえみwithB テレビ朝日
12/21 (木) 12:00 ~ 12:30 (30分)
【司会】黒柳徹子
【出演】ブルゾンちえみwithB(ブリリアン)

(番組内容)

今年大ブレイクを果たしたブルゾンちえみwithBが満を持して登場!黒柳さんはブルゾンさんの独特なメイクに視線が釘付け。そして、ブルゾンさんの脇を固めるネクタイ姿の男性“ブリリアン”のダイキさんとコージさんにも興味津々の様子…。今日は、お茶の間の大反響を呼んだ「キャリアウーマン」のネタはもちろんのこと、特別に用意したという“黒柳徹子”のネタも披露する!


良質な番組素材「箱根駅伝」だが感動だけでいいのか?

実はこの番組は後編で、春と夏の有力校・有力選手を追ったドキュメンタリーは11月22日に同じBS日テレで放送されました。有力校の合宿の様子に取材するなど、本大会が翌年の1月2日~3日なのでかなり前から箱根駅伝で引っぱっているという印象があります。また、本来は単なる関東での記録会に過ぎない箱根駅伝予選会の生中継もさらにその前の10月14日に地上波の日本テレビや、私の住んでいる静岡第一テレビでも地上波中継されました(BS日テレは録画放送)。改めて「箱根駅伝」というブランド力の強さを感じます。

ただ、日テレで地上波、ラジオでもNHK(関東ローカルの文化放送も)が生中継するという全国的なイベントになっているにも関わらず、大学生の駅伝の中で出雲駅伝と全日本大学駅伝を抑えて一番の知名度を誇っているのは、やはりその歴史によるところが大きいと思われます。

今でこそプロ野球でも全国各地にプロチームや学生の強豪がひしめいていますが、過去にはそこまで競技人口がなかったこともあり、とにかく競技普及のために大きな大会やリーグを東京周辺に集めてしまうことにより選手の強化を図ったという時代背景があったように思います。高校野球の甲子園は関西ですが、甲子園で活躍したスターの受け皿としては東京六大学のリーグ戦があり、今では必ずしも東京六大学リーグが日本最強ではなくなっているにも関わらず、さらにリーグ戦の順位に関係なくても必ず最後の早慶戦をNHK教育で中継するという慣例があるように、駅伝の世界においてもそうした伝統が引き継がれていて、実は全国大会ではないのに国民的行事になってしまったのが箱根駅伝だと言えるでしょう。

元々はアムステルダムオリンピックに日本人選手として初めて出場したマラソンの当時の世界記録保持者、金栗四三氏によって始められた箱根駅伝ですが、マラソンでオリンピックを狙う人材がそのために東京周辺の大学に集まってきたことは確かで、その状況は今でも続いています。全国から関東の大学に有力選手が集まってしまうことから、箱根へ向けてのトレーニングをする中で選手自身も能力が開花するなど、オリンピック選手を育成するための一定の役割を今も担っていることは確かです。ただ、テレビで今回紹介するような選手やチームに対する取材のもとで、スター選手が生まれる中、そうしたスター選手が思ったほど世界的には活躍できないというジレンマも生んでいます。

もし東京オリンピックに「駅伝」という新種目をオープン競技として大手町~箱根間往復で行なったとしたら、十分メダル圏内に入るとは思いますが、オリンピックの種目には残念ながら「山登り」や「山下り」を競う陸上競技はなく、いくらテレビで「山の神」と持てはやしたとしても、トラックやロードで世界の強豪と競えるだけの結果が出ていないことも確かです。もっとも過酷で急な山登り山下りのある競争がオリンピック競技として公認されるかというと、安全性の面から難しいでしょうが。

さらに、走る人数が多くなれば当日の体調によってブレーキとなってしまう可能性もあるのですが、そこで完全に脱水症状になって足が止まっているのにチームとしてタスキを繋ぐことを最優先にするなんてことになってしまうと大変なことになります。例えば、山梨学院大学の大エースで、前の年には世界選手権のマラソンの日本代表になった中村祐二選手が1996年の「花の2区」で足の痛みをおして走ったものの1キロ過ぎから痛みで走れなくなった時の事を思い出します。

普通は走れなくなればコースアウトするなり指導者が掛け寄る形で棄権させるのが選手生命を考えれば最良の選択だと思うのですが、その時は応援していた山梨学院大の選手達は、レースを止めさせるのではなく、とにかくタスキをつなげて欲しいと思ったのか、中村選手の伴走をしだしたのでした。これはお涙頂戴の根性論からすると実に美しい光景かも知れませんが、選手によっては伴走している選手達に義理立てをして無理をして走ることでその後の選手生命が絶たれる場合もある危うい行為です。そのまましばらく中村選手を走らせた上田監督の判断も本当に適切だったのかどうか、私自身は陸上の専門家ではないのでわかりませんが、単に精神論で押し切って美談にしてはいけないのではないかと、その時には思いました。

昨今の箱根駅伝を見ていてもテレビアナウンサーの勇み足だと思うのが「無念の繰り上げスタート」というフレーズです。もし体に変調をきたすほどのトラブルがあってタスキ渡しが遅れるのなら、体調がいい時に「その一秒を絞り出す」のはいいとしても、痛めた足をかばってまで頑張らせる必要はありませんし、さらに脱水症状によってフラフラになっている場合には頭を打つようにして倒れればそれだけで命の危険もあります。その場合には有無を言わさずに棄権させるようでないと、たとえ才能のある前途有望な選手だったとしても、調整不足から脱水症状を起こしたら、走るどころかフラフラ歩くようになり、ついには頭から崩れるように転倒して再起不能どころかその後の生活もおぼつかない事故が出る恐れもあります。

翻って考えると、1984年ロサンゼルスオリンピックの女子マラソンで印象的な姿をテレビに映し出したスイスのガブリエラ・アンデルセン選手の様子をテレビが最後まで映し出した事が、どんな状態になっても死力を尽くしてゴールするということが美しく素晴らしいという価値感を生み出し、それが箱根駅伝にも伝染してしまったのではないかと考えることもできます。テレビがフラフラになったアンデルセン選手をアップで映し出す前に、大会関係者やスイスの陸上スタッフが早めに彼女の安全を考えて棄権させるべきだったと思います。

種目は違いますが、この文章を書いている2017年12月現在、話題の大相撲の貴乃花親方も当時の小泉首相による「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」というフレーズで賞賛された優勝決定戦への強行出場が力士としての寿命を縮めたということもあります。やはり本当に世界で戦える人材を箱根駅伝が育成するというなら、選手の健康や生命を危うくするような無理を強要させて「悲劇のヒーロー」を作ったり、世界レベルでそれほどのタイムが出ていないのに安易にスターに祭り上げるような事は避けて欲しいと思います。しかしテレビは来たる1月2日からの箱根駅伝本大会ではまた新たなスターを祭り上げてしまいそうな気がします。そんな中で思うことは、今回のような取材が訪れたとしても、あくまで選手の方々は冷静に対応していただいて、本気でオリンピックのメダルを狙っている選手はここをゴールにしないで欲しいと言うことだけですね。

(番組データ)

密着!箱根駅伝 春夏秋冬 後編(秋・冬)BS日テレ
12/20 (水) 19:00 ~ 20:54 (114分)

(番組内容)

1月4日早朝。ひとつの戦いが終わった翌日、次の戦いはすでに始まっていた!箱根駅伝に挑む学生ランナーたちの1年間に独自密着、その後編。
前哨戦では東海大、神奈川大が王者・青山学院を撃破。時代は変わるのか?王者が輝きを取り戻すのか?箱根を目指す学生ランナーたちの1年に密着。


天皇陛下にご進講したアマチュア研究者・南方熊楠について

私が南方熊楠という人物の存在を知ったのは教科書からではありませんでした。植物学者として有名な日本人として教科書に載っていたのは南方熊楠でなく牧野富太郎の方でしたし、民俗学の大家として有名なのも柳田国男の方でした。たまたま小中学生用の伝記を読む機会があって南方熊楠の人生を垣間見る機会に恵まれたのですが、明治時代の日本の偉人として夏目漱石や正岡子規という文学の方面で名を成した方や、秋山真之のように海軍軍人として司馬遼太郎の「坂の上の雲」の登場人物としても有名な「大学予備門(東京帝国大学に入学する前段階の教育機関)」と同級生ということですから全国から集まった秀才と肩を並べる存在であったと言えます。

ただし、彼は天才ではありましたが、数学などの計算事がひどく苦手で、そのため全教科をしっかりやらないと東京帝国大学に進学できない大学予備門では数学のテストを白紙で出すなどしたため落第し、以降は学位も取らずに海外渡航をする決心をし、在野の研究者としての生き方を選びました。しかし、そんな中でも戦前の昭和4年に昭和天皇が和歌山県に行幸された時にご進講の栄光にあずかり(昭和天皇の研究内容が熊楠の研究している生物学・植物学で共通していたため熊楠本人が指定された)、熊楠の人生にとっての最大の栄誉となったのです。

その後、この事が人々の記憶から忘れられた中、南方熊楠の事が広く知られるようになったのが、またも昭和天皇の行動がきっかけとなりました。昭和38年の歌会始で披露した「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という人名を読み込んだお歌が出たことで広く全国に南方熊楠という名が認知され、昭和40年になって田辺市に「南方熊楠記念館」がオープン。決してメジャーではないもののその名前は広がっていくことになるのです。恐らく私が最初に読んだ伝記も、こうした流れの中で出版されたものだろうと思います。

さらに時間が経ち、没後50年で著作権フリーとなった平成3年あたりから、再び南方熊楠に光が当たることになります。そんな中で漫画における南方熊楠を取り上げる動きが一斉に起こったことがあり「てんぎゃん」(岸大武郎・少年ジャンプ)、「猫楠 南方熊楠の生涯」(水木しげる ミスターマガジン)、「クマグス」(内田春菊・山村基毅・潮出版社)、「南方熊楠 永遠なるエコロジー」(長谷邦夫・ダイヤモンド社)というように未完を含むさまざまな漫画が出た時がありました。

たまたまそんな時に和歌山県田辺市の天神崎を訪れる機会があり、そこで地元の人たちと夕食中に南方熊楠目当てで田辺に来たという話をしたところ、もし熊楠の生家が見たいなら、一人娘の文枝さんが起きていたら、中に入れてもらって話を聞くといいと思わぬことを言われて、午後8時頃に急いで熊楠の家まで連れて行ってもらったのですが、その時には残念ながら文枝さんは寝てしまっていて、家の中はともかく、直接南方熊楠と言葉を交わした実の娘さんとお会いする機会を永久に失ってしまったことが人生の痛恨事として今でも思い出されます。

今回の知恵泉で紹介された南方熊楠について、田辺市に住んでいる熊楠ゆかりの人の中には、当時4才くらいのお子さんだった方がインタビューに応じていて、一般的に言われた人見知りや感情の浮き沈みが激しく、大人からするとずいぶん気難しいと思われていたという印象ではなく、とにかく小さい子供に対してはおじいさんのように優しかったという話が聞けたのは、直接その人に会ったことのある人に話を聞いたからこその話でしょう。

番組での南方熊楠の人物像というのは、研究で飯を食うプロの研究者ではなく、実家からの援助のみで生活し、研究は自分の好きに膨大な標本や文章を残した「アマチュアの研究者」として語られ、それをゲストで魚の知識と絵の才能が飛び抜けている「さかなクン」の活動になぞらえたり、日本のブログ創世記からブログを始めて、今では大変多くの読者を誇る中川翔子さんのブログによる日々の何気ない記録の中に、もしかしたらダイヤモンドの原石のようなお宝が隠れているかも知れないという「南方曼荼羅」と言われる南方熊楠の世界観の話へとつなげていて、これはこれで、良い南方熊楠入門の番組ではないかと思えました。

ただ、番組ではテレビ初公開となる熊楠に対する観察日記を亡くなるまで付け続けた奥さんの松枝さんと、私がすんでのところでお会いできなかった娘さんの文枝さんを中心に紹介するにとどまっていたので、田辺市での様々な人々との交流や悲痛な息子さんとのお話についてかなり踏み込んで描いている水木しげるさんの「猫楠」が次のテキストとしておすすめだと思いますし、もっと細かい事を知りたい場合には、講談社現代新書の「南方熊楠を知る事典」があるのですがネット上では版元では絶版なので以下のページで一部限定ながら公開されていますので、興味のある方はご覧になってみて下さい。

http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/jiten.html

私が南方熊楠に憧憬する理由としては、この方は自然破壊を進める神社合祀の動きや、新しく森を切り開いた開発を嫌うのに、当時の日本はおろか、過去に滞在していたロンドンとの通信で雑誌「Nature」に寄稿するなど、当時の通信の窓口であった郵便局が新しく作られる事には決して反対しなかったというような、権威におもねらずえらく人間的な欲望の赴くままに研究をされていた姿勢に惹かれているという事があります。

熊楠は植物や粘菌の標本を作るのに、実物を観察してそのままの姿を絵として書き残していたのですが、今の時代ならデジカメで写真を撮り文章はキーボードから書けば手書きよりも早く正確に書け、インターネットが引かれていれば即時に全世界に公開したりメールでのやり取りが可能になるということで、熊楠は研究に要する時間を相当節約できたのではないか指摘する方もいます。しかし、明治以前に熊楠が生まれていたら鎖国の中でその才能は埋没していた可能性が高いでしょうし、今も熊楠のお宅に眠っている膨大な標本はまだ分類されていないものもあると言われます。ネットがあったらあったで、さらにその研究の内容は広がりを見せることになって後に残った人たちにとってはさらに研究がしずらい中味が何だかわからない膨大な資料を残してしまった可能性もあります。今のところは、熊楠の残した資料をどう分類して今の研究に活用するかということが、それこそ今を生きる人間にとって熊楠が突きつけている課題ではないかと思います。

しかしながら毎日を生きるのに精一杯でテレビを見るしか取り柄のない私などは何をやっているかと言われそうではありますが、このように一体誰が読んでいるかわからない駄文を綴っていてもその場限りにはしないで、ブログとしてアップしておくことの大切さを熊楠は教えてくれているように思います。テレビの事についてブログで書こうと思った時にまず考えたのは、どちらにしても何時どこのテレビ局でどんな番組が放送されたかという記録はインターネット上で入手することができるだろうと思い、それを見てどのように考え、当時はどんな社会の状況だったかとか、今も思い付くままに長ったらしく書いていったものの中には、未来の人が当時のテレビや社会を分析するに当たってのヒントぐらいは残せるのではないかと思ったからです。

今回の番組は単に「南方熊楠」というキーワードで見付けて自分の好きな人物だったので見ただけで、当初はここで報告するような事は何もないのではないかと思っていたのですが、ブログを同じように書いている人がいたとしたら、たとえそれが毎日数人しか見に来ないブログであっても、途中で止めないで記録として続けることの大切さはどんなブログでも必ずあることを申し添えておきます。インターネット上にはたとえ自分がブログをやめて内容を消しても、過去に遡ってその内容を記録しているサイトもあります。どんなブログでも記録として残り、その内容がもしかしたらとんでもない未来になって必要となる情報になる可能性もあると考えつつ、ブログを書いていくのも面白いのではないでしょうか。

(番組データ)

先人たちの底力 知恵泉「この世のすべてが知りたい!南方熊楠 超人の作り方」NHKEテレ
12/19 (火) 22:00 ~ 22:45 (45分)
【司会】二宮直輝
【ゲスト】中川翔子,東京海洋大学客員准教授…さかなクン,南方熊楠顕彰会学術部長…田村義也,

(番組内容)

「知の巨人」「日本人の可能性の極限」そんな称賛の言葉が並ぶ、明治~昭和の天才学者、“超人”南方熊楠。ところが弱点もたくさんあったため、大学や研究機関で大活躍!とはいかなかった。学問の専門を絞れない、極端な人見知り、常識外れの行動…。そんな熊楠が思う存分、実力を発揮できた環境とは、いったい?これまで未公開だった熊楠の妻の日記が、今回初公開!知られざる熊楠の素顔と、天才性発揮の秘密を明らかにする。


紅白のPRに「さんま&しのぶ」のデュエットは役に立ったか

いわゆる、大晦日にNHKホールで行なわれるNHK紅白歌合戦の事前告知番組であると書いてしまえば、この番組の説明はできてしまうのですが、今回で第3回を数えるということになると3年連続で、明石家さんまさんを出してまで番組告知をしているという風にも見えますが、実際の中味を見るとそこまで紅白のPRをしていないので、改めて何をやりたかったのかという疑問が残る番組であったことを最初に告白しておきます。ただし番組をさらに台無しにしかねない局のアナウンサーをMCにしなかった点については評価します。

何と3回目の今年は大竹しのぶさんとさんまさんがセットで出してしまうというのは、ある意味NHKが頼んだからと言えるのかも知れませんが、安易に元夫婦を番組内でデュエットさせると煽る手法などは民放を含めての視聴率競争に参戦している印象を強く持たざるを得ません。

さらに、乃木坂46とのからみでは、案の定というか「恋のから騒ぎ」(日本テレビ)状態になっていました。乃木坂46目当てでこの番組を見ている人ならそれなりに楽しめるでしょうが、そうでない人にとってはわざわざこんなからみをNHKニュースの後でまで見たくないという人の方が多いのではないでしょうか。

一体これからどうなるのかなと思いながら見ていたのですが、とにかく46人いるメンバーとさんまさんが次々とアンケートの結果を受けてメンバーに話を振り、個人的にはあまり噛み合っていないように見えたところもあったので、早く歌に移行した方がいいのではと思いながら結構見ながらハラハラしてしまいました(^^;)。しかし、そんな中でもやりとりは続き、ついにはメンバーの一人がさんまさんのコメントにうまく答えられずに涙目になった時には、「さんまのまんま」(関西テレビ)に出演した山瀬まみさんを泣かせた伝説の回を思い出しました。

結局、その後歌になったものの、乃木坂46は一曲を歌ったのみだったので、せっかくNHKのゴールデンタイムの歌番組に出てきたのですから、もう一曲ぐらい歌を入れて、その分メンバーへのいじりについてはさんまさんの厳しいツッコミをしっかり返すことができるメンバーに限定した方が、何よりさんまさんと乃木坂46のお互いのファンのためにも、テレビを見ている側が安心して見ていられたように思ったのですが。

その後、大竹しのぶさんが登場し、元夫婦の軽妙なトークが始まりました。大竹しのぶさんの過去の紅白出場時の映像として、役者顔で「愛の讃歌」を歌ったVTRをさんまさんに相当突っ込まれていましたが、真剣にやればやるほど面白くなるというのは良くあることで、こうしたいわば小学生のような親しい人へのいじりは微笑ましいものです。しかし大竹さんの方がそうしたツッコミを真に受けてしまって喧嘩になったであろうことがもしかしたら離婚の原因の一つになっていたとしたら悲劇ですが、今ではそれを逆手にとって、NHKでも大竹さんの還暦記念コンサートの時、出演者を含む全員から2万5千円取ったという話で非難の応酬をするなど、今やすっかりNHKでもやれる「営業化」したお二人のトークを楽しませていただきました。

しかし、そこまでは個人的に許容できたものの、番組内でデュエット曲として披露されたあの大竹しのぶさんとの夫婦喧嘩を模したデュエットソング「キライナヒト」は明らかにやり過ぎではないのか? と思ったことも事実です。なんでもこの曲は「還暦記念パーティでの二人のやり取りからヒントを得て作られたそうで、11月23日のいい夫婦の日に大竹さんのアルバムの中の一曲として既に発売されているということですが、まさかテレビの歌番組でデュエットをさせるとは、NHKも罪なことをするものです。

この曲は冷静になって聞けばさんまさんのパーティでのアドリブをそのまま固めたような歌詞になっているので、時が経ては経つほど古くさくなり、将来においては歌っているお二人にとって、特にさんまさんにとっての「黒歴史」になりそうな、ある意味貴重な楽曲だと思えます。これが紅白のPRに役に立ったのかは疑問ですね。単に人目を引くためにこのデュエットが行なわれたのだとしたら、大竹さんには全く影響はないものの、さんまさんにとっては今後も人前で歌えと強要されればされるほど、地獄の沙汰になってしまう可能性さえあるように思います。

個人的には「さんま&しのぶ」のからみというのは、そう頻繁に行なわないから面白味が増すと思っているので、できれば今後しばらく二人の顔合せは封印してもらって、できればNHKでなく民放のラジオで(ニッポン放送での過去のお二人の掛け合いは何しろ邪魔が入らないで続いたので絶妙でした)やるくらいにとどめておいた方がいいのではないでしょうか。

(番組データ)

第3回明石家紅白! NHK総合
12/18 (月) 19:30 ~ 20:43 (73分)
【司会】明石家さんま,
【出演】大竹しのぶ,T.M.Revolution,高橋優,乃木坂46

(番組内容)

さんま流紅白に、なんと禁断のゲスト・元妻「大竹しのぶ」が参戦!別れても息ぴったりの爆笑トークがさく裂。さらに初デュエットで歌も披露!乃木坂のものまねや悩み相談も。さんまの激しいトークに涙するメンバー?!西川貴教とさんまの思い出の曲をさんまが飛び入りでコラボ!高橋優はさんまが大好きな名曲「糸」を弾き語る。そしてライブのトークに、さんまが笑いのダメ出しも!今回もお笑い怪獣がNHKで歌に笑いに大暴れする


番組タイトルと中味の違うことをやってそのまま放送する番組があった

教科書に出てくる偉人というと、普通の人でない超人的な能力を持っている人ではないかと思いがちですが、今の世界は人類が生殖を続けてここまで辿り着いているものに過ぎません。ですから、現在の社会でもテレビに向かって多くの人々が文句を言うような人が、後世の人から見ると、まれにみる偉人として取り扱う可能性だってあります。

今回の番組で紹介される数々の偉人と言われる人でも、生きている時には何をしでかすかわからない人間であり、決して聖人ではありません。しかし、有名になったのにはそれなりの理由があり、光り輝く経歴を持つに至った人間というのは、普通に生活していてはなかなか会うことが難しく、その人の事について書かれているものを読むと、中にはその人物を偉大に見せるために実際と違う創作部分が挿入されているのではないかと疑いの向く部分もあります。

その最も顕著な例が、独裁政権を権威付けるために書かれた伝記というか「伝説」の類の書です。君主の業績を余すことなく書き連ねようとするために、最高権力者の姿を、ある時は頭脳明晰、ある時はスポーツマンというような正義のヒーロー的な偶像化をしてしまう事は良くあることですが、そうでない現実の人物像を知りたいと思っている方は少なくないはずです。

今回紹介する「発見!偉人とホントに会った人」という番組のコンセプトとしては、そうした虚実相まって祭り上げられた偉人としての姿ではなく、現在生きている人が会ったことのある過去に栄光を極めた人物について、実際に会った人でなければわからないような事を聞き出し、そこから人物像を深く掘り下げることを目的としたと思うのですが、今回のオードリー・ヘップバーン、榎本健一、沢村栄治というジャンルの違う3人の実像に2時間で(実際はショップチャンネルのコマーシャルが間に挟まっていたのでトータルの時間は短いですが)迫るというのはかなり難しいと思わざるを得ません。

それでも、オードリー・ヘップバーンや榎本健一さんについては今でも出演している映画ソフトをいつでも見ることができますし、女優やお笑い芸人というジャンルは廃れることなく残っていますので、名前が出た時点でどんな人なのかという事を理解しやすいですが、問題は最後の沢村栄治さんです。

日本人と野球というのは、過去には切っても切り離せない関係がありました。昔の「野球は巨人」というような、テレビのプロ野球中継が全て読売巨人軍の試合を軸に回っていたということで、栄光の巨人軍を歴史作った伝説の選手であることに疑いの余地はありません。しかし、どれだけその偉業とともに「沢村栄治」という名前が現代社会においてそれほど知られているわけではないでしょう。

こうした番組を作るからには、どこまで取り上げた人物を後世まで語り継いで行こうかという覚悟を示すものとして、それなりの熱意が必要ではなかったかと思います。具体的には、3回も召集令状が来るほど戦争に駆り立てられ、それでもめげずに野球界に復帰した沢村選手の野球がやりたいと思ってもできないまま無念の戦死をしたということを、過去のテレビが伝えたくらいのメッセージ力をこの番組では発揮していたかということです。

日本のTVアニメは手塚治虫さんの「鉄腕アトム」が先陣を切りましたが、その後もSFアクション系のものが続き、食傷気味な部分があったのではないかと思います。そんな中、新たなジャンルとして小供だけでなく大人でも人気の野球を題材としてアニメが作られました。それがTVアニメの「巨人の星」です。

改めて放送データを見ると、巨人の星は1968年から1971年まで放送されていましたので、リアルタイムで司会をした立川志らく師匠が見ていたとしたら5才から8才と、さすがに細かい内容は覚えていないくらいの年代ではあるのですが、このアニメは何回も再放送されたことで、当時の日本の小学生から中学生の野球熱が高まる要因になったということもあります。今では差別用語(「日本一の日雇い人夫」の回など)の自主規制のため、小さい子に見せてはいけないような状況になっています。

今回沢村栄治さんについて語られた内容の多くは、実はアニメの「巨人の星」の第91回「栄光のピッチング 沢村栄治物語」の中でほとんど語られていたのです。当時の男の子は野球が好きとか嫌いとかいうことはなくて、毎回楽しみにアニメを見ていたと思うので、戦争に行って手榴弾の投げ過ぎで肩を壊し全盛期の上手投げでなく横や下から投げることもあったという話も見ていたはずです。まあ、そこまでアニメで語られた沢村栄治さんのエピソードを知らないということはあるかも知れませんが、それだけ当時のTVアニメを作っていた人にとっては、この沢村栄治という選手がいたことを当時の子供たちに伝えていきたいと思って、ストーリー展開からすると少々異色な、沢村栄治物語だけで一本の物語を作ってしまったのです。

そうした熱意を無意識に感じた当時のお子さんの世代が立川志らくさんの年代であると言えるわけで、その割には番組上でのリアクションが薄かったと感じるとともに、このストーリーを今の子供たちに引き継いでいこうと思うなら、今回紹介されたくらいの話ではとうてい足りないのではないかとすら思えたりするのです。

先日紹介したばかりの昭和11年に立教大学登山部が未登頂のヒマラヤ山系ナンダ・コートに世界で初登頂した偉業もそうですが、多くの人に忘れられている過去の偉業を埋もれさせることがなくアピールしていくためには数人をまとめて取り上げるのではなく、少なくとも一人の偉人に2時間はかけないと、そもそも何がすごいのか(沢村栄治さんの事で言えば、なぜアメリカの大リーグ選抜チームを抑えることができたのか、大谷翔平選手と比べてどのくらいのインパクトが有ったのかなど)、それこそ今生きていて全盛期の沢村栄治さんの投球を見たというぐらいの人に、大リーグに行った他の日本人選手と比べて実際のところ沢村栄治さんの実力はどうだったのかという事を聴くでもしなければ、本当のところはわからないと言う結論になってしまいかねません。

さらに、個人的にこの番組が問題だと思ったのは、番組内で沢村栄治さんの事について集中してインタビューを受けていたのは、番組がご本人に実際に会った人から聞くという触れ込みなのにも関わらず、宇治山田から京都商業へ一緒に行った捕手の友人は既にお亡くなりになっていて聞くことができず、仕方がないからとその子孫の方に伝聞という形で喋ってもらっていましたし、最後に出てきた沢村さんと戦地で一緒だったという100才の男性の写真を出しておいて、直接お話は聞けませんでしたというのはまさに看板と中味が大違いという事になってしまいます。ですから、この番組における沢村栄治さんに関する内容は、全てが伝聞に基づいて作られているということで、この番組で取り上げるべきではなく、別のコンセプトで番組を作った方が良かったように思います。

次に同じような企画をされる時は、まず取材当時に生きている方にインタビューするのを鉄則にし、そのインタビューも大切な内容を聞く場合なはディレクターではなく司会をされる方が直接出向き、その臨場感を伝えられるようでないと、見ている方の中は「テレビって適当なんだな」と思う人が出てくると思います。

(番組データ)

発見!偉人とホントに会った人 BS-TBS
12/17 (日) 19:00 ~ 20:54 (114分)
出演:立川志らく(噺家)

(番組内容)

教科書にも伝記にも載らない『偉人』の話 オードリー・ヘプバーンが親友に送った最後の手紙とは!?喜劇王『エノケン』が娘を怒鳴ったただ1度の理由。伝説の投手沢村栄治

教科書にも伝記にも載っていない『偉人』に 会った人だけが知る貴重な話を立川志らくが聞く オードリー・ヘプバーンと親友だった日本人に語った理想の男性像「ストロングマン!?」スクリーンから遠ざかった9年間の真相 私の前世は日本人!?旅先で見せた大スター らしからぬ母親姿 直筆の最期の手紙 チャップリンも認めた『エノケン』の娘&貴重映像 小松政夫を救った心に染み入る言葉 伝説の投手沢村栄治の捕手


BS11とナンダ・コートとの密接な関係に今後期待する

今回の「BS11 開局10周年特別番組」と銘打たれたヒマラヤのナンダ・コート(標高6861m)への登頂を扱った番組を見終えて、偉大な先輩の後に続き、現代の技術でのナンダ・コートへの登山のチャレンジをした立教大学の山岳部OBを中心にしたグループとBS放送の中でも後発のBS11という存在の共通性というものを感じ、「だからこの題材で番組を作ったのか」と思い当たりました。

昔も今も、未登頂峰を目指すチャレンジは熾烈を極めるものですが、昭和初期の日本の登山のスペシャリストというのは、必ずしも今回紹介する立教大学に集まっているわけではありませんでした。当時の登山技術は大学生が主導していたことは確かでしたが、番組で紹介していた当時のトップは慶応や学習院大学の登山部の方だったといいます。世界の登山家がヨーロッパアルプスからヒマラヤへとその目標を変更する中、日本でもヒマラヤを目指した登山計画を多くの隊が考える中、しかし実現にこじつけることは難しい状況にありました。

立教大登山部がナンダ・コートに登頂を果たしたのは1936年(昭和11年)の10月5日の事でしたが、同年の2月26日にあの「二・二六事件」が起こっていました。そんな状況の中、日本という国の威信を海外に示すには、登る山にもそれなりの「ハク」がないと駄目だと思った隊は多かったのではないかと想像します。日本という国の優秀さを世界に向けて示すには、どうしても8千メートルを超える山への登頂を目指さなければという気持ちになればなるほど、無理な計画を実行に移す事の無謀さを感じて諦めるしかなくなるでしょう。

そんな中で、ヒマラヤにあってそれまで人類がまだ登ったことがなく、更に標高にこだわらずにあくまで自分たちの技量の身の丈に合った山ということで立教大学登山部が選んだのが標高6861mのナンダ・コートだったわけです。この「身の丈に合った目標を見付けて十分な準備のもと実現させる」という行動が、ついにはナンダ・コートの人類初の登頂という栄光の記録となって今でも燦然と輝いているのです。

翻って今の日本のテレビ界を見てみると、公共放送にNHKがあり、山であればエベレストだとすると、他の8千メートル級の山々に比した民放には日本テレビ・テレビ朝日・TBS・フジテレビがあり、そこから少し低い山としてテレビ東京があるとすると、BS11はそれら地上波を持つテレビ局と比べるとさらに標高の低い存在であることは何となくイメージすることができます。しかし、「山高きがゆえに貴からず」ということわざのように、低い山だから簡単に登れるというわけでないのも登山の奥深さではないでしょうか。

初登頂を立教大学隊が成し遂げた時、「日章旗」「毎日新聞社旗」「立教大学校旗」の3つの旗をナンダ・コートの頂上に埋めて帰っていたという話があり、当時の登頂までを撮影したフィルムや実際に山行で使用した当時のテントが発見されたこともあり、新たに立教大学OBをメンバーにして3つの旗を登頂した後で探し出して持ち帰るため、ナンダ・コート登山のための遠征隊が組織され、その撮影にBS11が手を挙げたというわけです。

ここからはネタバレになってしまいますが、当初の目標であった遠征隊全員での登頂という目標は早いうちに崩れ、それでも何とか日程内に山頂にアタックすることになりました。しかし、山頂の200から250mという所で安全に進めなくなり、危険を承知でアタックを続行するか安全に下山することを優先して断念するか、究極の選択を迫られることになりました。

極限状態の山頂付近の映像を、そのほとんどが本格的な登山の経験もない中でこたつに入りながらぬくぬくとテレビで見ている視聴者というものは本当に勝手なものです。やはり遠征隊が山頂にたどり着いてもらい、81年前に埋められた3つの旗を見付ける決定的瞬間を見たいと思ってしまうものです。恐らく遠征隊に同行した撮影スタッフも、このアタックをここで止めたら番組的にはどうなるか? という問題についても頭にあったに違いありません。

しかしながら、番組では撮影隊の方から安全に全員下山することを優先した方がいいという提案があり、立教大OBの最年少参加者の鈴木さんもそれを受け入れ、テレビ的な見せ場はないまま番組は終了してしまったのでした。

しかし、タレントや有名人に何が何でも山頂に立ってもらうようにするバラエティ番組ならまだしも、この番組はテレビが先にあったのではなく、あくまでも登山計画が先にあったものにカメラが付いて行っただけのことですから、登山の現実として安全に下山できない可能性があるなら登頂を諦めて帰ってくるのが正しい判断であることに疑いの余地はありません。つまり、目的達成でめでたしめでたしにならない事こそがドキュメンタリーのドキュメンタリーである所以で、逆にこれで次回のチャレンジを見られる期待が出てきたということにもなるわけです。

BS11は開局10年を数え、まだなかなか魅力的な番組を先行する局ほどには送り出してはいないと思うこともありますが、今回の番組を最後まで見させていただいて、当然この遠征隊の次回のチャレンジもBS11で放送してくれることを期待してしまいます。製作費の関係から過去のドラマの再放送や中国・韓国のドラマを放送することも仕方ないところはあると思いますが、今後は自社制作の番組も増やし、地上波系列の放送局を脅かす存在になることでテレビ全体が更に面白くなるのではないでしょうか。

(番組データ)

ヒマラヤの聖峰、80年目の再挑戦 山頂に眠る旗を探しに【BS11◆10周年特別番組】 BS11
12/16 (土) 20:00 ~ 22:00 (120分)
【ナレーション】田口トモロヲ

(番組内容)

【BS11 開局10周年特別番組!】 ◆戦禍に埋もれてしまった“快挙の証”を求め、再びあの頂を目指す-- ヒマラヤの聖峰ナンダ・コート塔頂に挑んだ遠征隊に密着したドキュメンタリー。
今から約80年前の1936年。堀田弥一隊長率いる立教大学山岳部と大阪毎日新聞社運動部の竹節作太記者らからなる5人の登山隊が、ヒマラヤの聖峰、ナンダ・コート(6,861m)に世界初登頂を果たした。
その証として山頂に埋めた、立大校旗・毎日新聞社旗・日章旗を求め、塔頂から80年目の今年、立教大学山岳部OBを含む登山隊が、再びナンダ・コートに挑んだ。 当時の記録映像と共にプロジェクトの一部始終を伝える。


2回目になって「聴きやすく」なった「聴くメンタリー」

前回の放送の後で、第一回目の放送が地上波深夜で放送されたり、BSフジでも再放送がありながら、「珍盤アワー 関根勤の聴くメンタリー」もついに2回目の放送となりました。2回目ということもあり、ある程度は手探り状態を脱してより多くのレコードを聞くことができましたし、前回はあまり感じなかったのですが、改めて落ち着いて見てみたら、一つ感心した演出方法がありました。

テレビとは見るもので、聴くものではないのですがラジオだとずっと聴いていないと大事な音源を流す場合に聴きどころを外してしまう場合があります。これは情報が音だけでしか入って来ないのですから仕方のない部分ではあるのですが、今回特に思ったのが、レコードを掛け、その音源が聴こえている時間には共通の「よく聞いてください」というマークが画面に出ることによって、このマークが出ている時には画面を注視するよりも耳をそばだててテレビから出てくる音に集中しようというテレビを見ている人達への共通認識を促す効果を出しています。今回のネタの中では、赤ちゃんの鳴き声の聞き分け方のレコードというのが個人的には秀逸でした。

今回は特に出てきたネタが多かったこともあって、こうした共通マークの出現によってかなり自分自身の視聴にメリハリを付けられたのではないかと思います。そして、番組中盤に行なわれた「未来の聴くメンタリー」とでも言うべき音を、出演者の井川さんが録ってきてそれが何の音なのか当てるというコーナーが有り、現在において失なわれつつある音があるという事を感じるとともに(フルサービスのガソリンスタンドや幼稚園の子供の遊ぶ声など)、もしこの番組が毎週でなくてもいいのでレギュラー放送がなったとしたら、ぜひ視聴者からの「音の投稿コーナー」を作っていただいて、その中から未来に残していきたい音を紹介できるくらいの事ができれば面白いなとも思います。

この番組で紹介している「聴くメンタリー」の要素の詰まったレコードというのは、いわゆる生録ブームで街にカセットデンスケとマイクを持って生活音や環境音、SLの走行音などを録りに行く「生録マニア」の存在が支えていたのではないかと思います。当時はアナログのカセットテープに録音するので大変だったと思いますが、そのようにしてマイクと録音機を持って外に出た人が日本中に出現したことによって、多くの珍しい音源が後世に伝わるというところもあったでしょう。恐らく素人の録った音というものは、そのほとんどは既にきちんとしたものが録られていたり、あまりに普通のものだったりして後世に残せるというところまで行なかいことが多いとは思いますが、多くの音を聞き込んだ専門家に判定してもらうことによって、道端にダイヤモンドが落ちているくらいのとんでもないお宝が混ざっているかも知れません。

さらに動画と違って、録音機の進化というのは現在でもある程度落ち着きを見せているということも、野外録音をしてみようという人にとってはいい環境であると言えるでしょう。というのも、私の手元にあるTASCAMのDR-05というICレコーダーは2011年に購入して今年で6年目というものですが、メーカーの製品ページを見るとまだ現行製品で、本体のファームアップ用のプログラムが2017年11月にも最新のものが出たりしているのです。

ですから、ステレオでの録音ができないスマホでは難しいですが、評価の安定した1万円前後のレコーダーとバイノーラル録音のできるマイクとイヤホンが一緒になったローランドのCS-10EMあたりをを合わせて使えば、だいたい2万円くらいの予算でも十分に使える機材が手に入ります。これらの機材を組み合わせると生録に興味がない人から見れば、単にミュージックプレイヤーを歩きながら聞いているようにしか見えないのが、常に自分の両耳のところにセットしたステレオマイクから入って来た音をイヤホンでモニターしながら録音することができます。しかもまさか録音しているように見られることはないはずなので、特別な機材も必要とせず、どんな所へ行ってもそこでの生活音や自然音を録ることが怪しまれずにできるということになるのです。

このように気軽に音を録ることができるようになれば、自分で自分の興味あるものの音のライブラリーが作れます。私自身も今回の放送を見させていただいて、暮れからお正月に掛けて、録音機とバイノーラルマイクをセットにして初詣にでも行ってみようかなと思いました。それだけでなく、旅行へ行った時にはスマホで撮った写真とセットになるように、音の記録を取るというのも面白そうです。興味がある方はネット上には様々なエキスパートの方々が残した情報がつまっていますので、ぜひご自身で調べてみて下さい。

(番組データ)

珍盤アワー 関根勤の聴くメンタリー BSフジ
12/15 (金) 23:00 ~ 23:55 (55分)
出演者:関根勤 清水ミチコ 井川修司(イガイガワ)
ナレーター:よしいけいこ
編成:大森慎司
企画構成:若木康輔
演出:粂田剛
プロデューサー:河野孝則

(番組内容)

「レコードといえば音楽」と思っていませんか?しかし、ビデオがまだなかった時代、音楽以外の音、効果音や肉声、ドキュメンタリーなどが録音されたレコードが存在しました。 「聴くメンタリー」とは、耳で聴くドキュメンタリー。これはテレビ史上初、音楽じゃないレコードを「聴く」番組です。 出演者にモノマネ芸人として「音」を繰り出すプロである関根勤と清水ミチコを迎え、ひたすらマニアックな迷盤・珍盤を数々のモノマネを交えいじり倒す贅沢な1時間です。 第2回目のラインナップは、赤ちゃんの泣き声やイタコの口寄せ、音の出る雑誌、砂漠を歩く音の現地録音など、1回目に輪をかけてマニアックなレコードが登場します。 また、1980年代に大旋風を巻き起こした女子プロレスタッグ「クラッシュギャルズ」の試合実況やインタビューを収めたレコードを、現在の長与千種に聞かせに行く感動のVTRも必見です! さらにベトナム戦争をテーマにした珠玉のドキュメンタリー盤では普段見ることのできない社会派の関根さんも見所です。


テレビドキュメンタリーがゴールデンタイムに放送される意義について

毎日放送される事件報道は多くの人が目にするものの、その後にどうなったかという事についてはかなりこまめにテレビや新聞を見ていても、ネットにその続報を求めてもなかなか新しい情報を入手することは難しいものです。

そんな中、一定の時間を置いてニュースのその後を追い掛ける特集がニュース番組の一つのコーナーとして放送されることはありますが、それ自体を一つの番組として放送する「テレビドキュメンタリー」は、今も昔も冷遇され続けてきました。

このブログではNHKの受信料についてはかなり厳しく書いているという自覚があるのですが(^^;)、それでもNHKの番組を多く取り上げるというのは、最近では再現ドラマなどを交えたオウム真理教の事件を取り扱った番組を放送したりと頑張っている印象があります。民放のドキュメンタリーというのは細々と作られてはいるものの、午前2時以降のド・深夜や日曜の番組のすき間に入ったりして多くの人の目に触れないような惨状です。

ただ、東京キー局でなく全国の系列局が製作したドキュメンタリーをもち回りで放送するようなケースも有り、東京の放送局が取材をするよりも地域に密着した深い内容が見られるので、本来はもっと様々な内容のドキュメンタリーが見たいと思ってはいるものの、告知も少なくいつ放送しているのかもわからない民放のドキュメンタリーを作っている人達はさぞ大変だろうと思っていました。

今回は、本年10月に2回に分けて関東ローカルでのみ放送されたフジテレビ制作のドキュメンタリーが多くの人から評価を受けた事で、関東ローカルで放送された内容に新たに取材を加えてさらに編集した内容を入れ、一回分にまとめられた2時間の番組に仕上がったということで、見ない理由はないということで見させていただきました。

まず、今回の番組がこれだけ反響を呼んだ一つの要因として考えられることは、両親が殺人罪で服役している中、物心が付かない中で世間から放り出されるようにして育った彼らの息子さんが単にインタビューに応じたということだけでなく、顔や素性は発表しないものの、声はそのままの形で出してきたということです。よくある声を変えて放送する事でよりプライバシーを保護することはできるわけですが、今回取材を受けた息子さんは自分の声をそのまま流すことに同意したことで、感情の浮き沈みなど細かいところまで見ている側に伝わってきやすいという事があります。実際の声に加工を加えてしまうというのは、実際に話を聞いている中では起こり得ない事であるので、伝わり方も違ったのではないでしょうか。

今回新たなインタビューで息子さんがテレビに出た後の反応について語ってくれたので、その内容についても書いておきます。テレビに出て地声で正体がわかってしまった人はいたとは思うものの、周りの人はきちんとした対応をしてくれていて、嫌な思いというのはしていないということでした。ドキュメンタリー番組を送り出す側としては、いくら注目されたとしても、番組に協力してくれた人を不幸にする番組であったとしたら、それは本当に悲しいことになってしまいます。その点では良かったと思うとともに、今回のテレビ出演によってさらに多くの、しかも全国の人達が見た事で現在の生活が壊されることなどないように祈っています。

インタビューの内容は両親が逮捕される前までと、逮捕された後との2部構成になっていました。陰惨な犯罪行為の渦中にいて、さらに両親から虐待を受けていたという内容はショックを感じましたが、やはり個人的には両親が逮捕された後の世間の冷たさというのが、いつ誰に降り掛かってもおかしくない時代に私達は生きていることも実感できるところです。

特に息子さんが進学した定時制の高校の職員が、里親の元から家出して働き始めた(もちろん学校には行っていなかった)息子さんを見付けた時に、学校へ戻すように尽力するのではなく、きちんと退学手続きをさせるためにのみ動いていたという話や、身内がいないので仕事をする場合の保証人も付けられない事で、劣悪な環境で賃金も安い職場を転々とせざるを得なくなった話など、これでは小さい頃から身寄りのない子はどうすればいいのだと改めて感じることになりました。

で、それから息子さんがどうなるかというと、初めて大人に優しくされたと思い、懇意にしていたおじさんがいたのですが、その人はヤクザ関係の手配師だったという事になってしまうのです。まさかとは思ったのですが、世間からはじき飛ばされた人たちが自然とヤクザな世界に集まってしまうという事が、暴力団対策法のある現代でも起こっているという事実に愕然としました。九州のヤクザと言えば、テレビのニュースでは工藤会の壊滅作戦に警察が躍起になっていることが全国ニュースでも報道されていますが、壊滅作戦が成功したとして、社会からはじき飛ばされるようにしてヤクザの庇護の元で暮らさざるを得なくなった人たちはその後一体どうなるのでしょうか。組はなくなったから後は好きにやってくれではまた同じような組織ができるだけでしょう。

警察が動くわけですから政府の方も、真剣にヤクザから足を洗いたい人について、ちゃんと就職まで面倒を見ているのか? という事が大いに気にかかります。この息子さんについても、ヤクザの組織に手入れが入った後に、とある会社の正社員になったということなのですが、それはどんな経緯でそうなったのかという大切な点については今回の番組では明かされなかったということが一つ心残りでした。

ただ、今回は前番組のサッカーが時間通りに終わったため、金曜の午後9時からというまだ多くの人がテレビを見ている時間にこうしたテレビドキュメンタリーが放送されたということだけでも民放テレビ界の快挙と言えるだろうと思います。今回のドキュメンタリーについては、過去の日本の大きな犯罪について多少興味本位な切り口でフジテレビが紹介した事件の中にこの息子さんの両親が起こした事件があり、興味本位で事件報道をすることは、関係者を苦しめるだけだと息子さんがテレビ局に抗議の電話をしたことが発端なのだそうです。少なくとも、こうした抗議に正面から向き合ってくれる番組制作者がいるというのは救いでもありますが、寝た子を起こすような「あの犯罪者・事件は今」というような企画を通して関係者に疎まれるのもまた同じテレビであるわけです。

今後はそんなテレビについて、テレビ制作者がどのように考えているのかという事も取材してドキュメンタリーとして発信していって欲しいと思います。

(番組データ)

ザ・ノンフィクションSP 人殺しの息子と呼ばれて・・・フジテレビ
12/15 (金) 21:00 ~ 22:52 (112分)
【ナレーション】近藤サト 下山吉光
【チーフプロデュース】 張江泰之
【制作】 フジテレビジョン

(番組内容)

『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜・午後2時~2時55分/関東ローカル)は、普段見ることが出来ない人間の一面や人間関係、生き方、ひとつの職業を深く掘り下げて見えてくる隠された本質、記憶に残る事件や出来事などを取材し、その事柄のありのままの姿、事実をお届けするドキュメンタリー番組。 フジテレビで10月15日(日)と22日(日)の2週にわたって放送した『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…』

2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人である夫婦の元に生まれ、「人殺しの息子」と呼ばれながら生きてきた息子(24)が、初めてメディアのインタビューを受けたもので、自身の怒りや悲しみ、そして苦悩の日々などを激白した。その壮絶な証言の数々に大きな反響が集まった。番組放送後に全国の視聴者の方々から「是非全国放送でやってもらいたい」との声が多く寄せられたため、全国ネットで放送する。

今回は、10月に放送した内容だけでなく、放送後、再度息子に敢行したインタビュー、母・緒方純子受刑者による未公開の手紙などの内容を加えて、再編集した形でお送りする。