2017年から2018年にかけて、特にテレビに出てくる人の「顔」について考えることが多くなりました。その象徴として挙げられるのが、冬期平昌オリンピックに突如出現した朝鮮民主主義人民共和国の「美女応援団」についての話題です。ここで大切なのは「美男」ではなく「美女」という女性であることと、限りなく「整形」ではない自然な美だと言われていることです。これは、お隣の韓国が誰でも整形して美しい顔を作っているということで、そうしたコンプレックスがあるということなのでしょう。
日本の芸能人でも整形の噂が絶えないタレントさんがいるのですが、今の日本のテレビの現状を見ると、そうした整形は悪でも何でもなく、テレビの前に登場するための準備事項の一つであると思うこともできます。なぜなら、韓流ブームで数多くのユニットが日本でもデビューした韓国のアイドルについて考えてみても、整形していることを前提にして画面の見栄えを考えた中で、世界戦略が功を奏しているという面もあるからです。
日本のテレビについても、醜いよりも綺麗な方がいいという事は決して表面では言われないものの、全国のテレビ局が採用しているアナウンサーや天気予報で出てくる気象予報士はほぼ例外なく男性でもイケメンと言われる人がほとんどで、現在のアナウンサーやテレビに登場する気象予報士の試験には顔の綺麗さというのがあるのではないかと疑ってしまうところもあります。
そんな美男美女の局関係者がMCとして登場するワイドショーで平昌オリンピックの美女応援団について批判的な論調で話を進めようとしてもあまり意味がありません。顔が美しい女性を多く集めて行動させれば多くの人々が熱狂するということは、すでに日本のアイドル界を見ても当り前の話で、しかも今回平昌を訪れた女性たちは歌や楽器のレッスンをして優秀な技量を持っている、いわばアジアでも例のないようなアイドルグループとしてもやっていけるポテンシャルを持っています。彼女らの所属する国家の都合によって利用されているということはあるにしても、人工的な美を作り出し世界戦略を持って売り込んで行こうとする隣国と、考え方自体にはそう違いがあるとは思えませんし、逆に「テレビは高解像度になるので顔が全てだ」と言ってくれた方がかえってすっきりするところはあります。
そんな風に考えてみると、例えば大相撲の貴乃花親方と八角理事長・春日野親方とついその風貌を比べてお互いの発言への感じ方が変わってしまう事があるのかとか、素人のカラオケバトル番組での注目を浴びる出場者が必ずしも歌唱力でなくその風貌でも審査されているのではないかと思う点も出てきたり、そうした流れが「キングオブコント」で「かまいたち」を差しおいて「にゃんこスター」がテレビの人気者として番組出演回数が増えたことと関係あるのかというような、テレビ映えする風貌が大事ということがいつの世でも議論の対象になるということはあるのです。
こうした評価というのは一見顔とは関係なさそうな政治やスポーツの世界でもあり、小泉進次郎さんがもしイケメンでなく都会的でもなければあそこまでの人気が出たかは疑問ですし、今回の平昌オリンピックでは「開会式の出場者一の美女」なんていうものを競技の実力と関係なく挙げているのがテレビのワイドショーなのですから、これからはテレビに出て多くのスポンサー料を獲得するために、若い頃から日本のアスリートや政治家を目指す人たちも本気で整形を考える方が、よりテレビに取り上げられて成功する可能性が出てくるのではないかとも考えられます。
また、本人にはそんなに意識することがなくても、同じ土俵に上がるライバルが美女やイケメンであった場合、その実力に開きがあればあるほど、自分が悪役的に見られてしまうというのは先代の貴乃花と北の湖との関係が証明しています。こうした考えを進めていくと、テレビを使って多くの人に自分の事を知ってもらいたいと思っている人は、早めにテレビ映りのよい顔を目指して整形も辞さないようなところまで考えておくべきなのかとも思ったりします。
ちなみに個人的には「顔」そのものが大事だと思って活動する「アイドル」や「美女応援団」が究極の美を求めてテレビ映りを良くする事が悪いことだとは思いませんが、直接顔の良さや美しさとは関係ない事で有名な方は、あくまでその仕事や技術で勝負すべきで、その魅力をわかってくれる人がいれば美男美女である必要はないと思っています。ただ、ここまで書いた通りテレビの解像度が4K8Kと増えてくる中、年齢の進行とともにテレビに出られない人が出たりするなど、バグルスの楽曲「ラジオスターの悲劇」そのままの現実が条件を広げて出てくるだろうと予想します。
だからこそ、テレビ制作者の中には「顔など関係なく最高のパフォーマンスを出してくれる人をテレビに出す」番組もわずかながら残していただける事を期待するのです。画一的な番組ばかりになり、テレビドラマでもお笑い芸人やミュージシャン以外の「非美形俳優」がなかなか出てこないというのは、少なくとも現実の社会を反映させたドラマではないことも確かでしょう。様々な価値感のある中で、最高のパフォーマンスを出す顔こそが美しいというような、テレビ映えする「顔」の基準そのものを変えてくれるような力技を持つテレビ制作者の出現を期待したいところです。