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舛添要一氏の行動からコメンテーターのあり方を考える(4)常に「仮想敵」を作る

ここまでは、あくまで自説を的確にコメントで伝えるための方法について紹介してきましたが、さらに自らの発言に注目を集める方法について紹介しようと思います。これは、コメンテーターの発言だけに関わらず、SNSやブログの発言でも同じような事が言えるかと思いますが、悪い言い方をすると「炎上商法」を常に心掛けて発言することで自身の発言に注目を集め続けることができるという理論です。

例えば、その時期に世間で注目を集めた人物について批判をすることによって、Yahoo!ニュースに取り上げられるようになればしめたものです。自身の言動が世間の注目を浴びていることが一目でわかりますし、そうした意見について新たな論争が起こるようになれば、その発信源であるコメントにさらに注目が集まるのは必至です。

テレビ司会者や記者会見を開く場合には記者達から、自らの発信に端を発した「バトル」を演出することで、しばらくはその成り行きに注目を集めることもできるでしょう。これは、最近では舛添氏の専売特許ではなく、ポスト舛添としてコメンテーターの座を狙っていたり政界に進出したりされる方でも、あえて過激な発言をしたり、他人を挑発するような言動を取ることは見受けられますが、やはりこうしたやり方には効果があるなあとしみじみ感じてしまいます。

舛添氏は当時の左翼論客や、あえて思想的な背景を持たないながら左寄りの意見に流されているような人に向かっても厳しい物言いをし、自らの意見を堂々と主張するのですが、これも最近になってSNSを使ってネット上の反応を見たり、SNSで直接攻撃した事がネットニュースになってその詳細をテレビで説明するような逆転現象も起きています。ただ、こうした議論の主役になるためには、まず自分の存在が広く一般に知られていなくてはなりません。いわゆる「ネット上の有名人」ではインパクトが弱いので、まずはテレビコメンターとしてお茶の間に顔を売ってから行なう事で、ネット上の議論を有利に進めることも可能になるでしょう。

こうした「仮想敵」への攻撃を行なううちに、いわゆる「犬猿の仲」であると広く認知された相手を持つことができればさらにやりやすくなります。もしその相手のとバトルをテレビの中で見せられるとしたら、出演する番組について、多くの人の興味を引くことになるのは確かですそれが視聴率につながればなおいいでしょう。もし相手が同じ土俵に出て来ないという状況になっても、これは言わゆる「欠席裁判」になるので、一方的に自説を主張して、それでも相手が無視を決め込んだ場合には「完全論破した」とし、次の「仮想敵」を見付けてバトルを仕掛けるように進めていきます。

この「仮想敵」についても現在の日本をいろいろ見ていくと、必ずしも政権党である自民党や、首相の安倍晋三氏への圧倒的な選挙における支持はないものの、選挙結果は自民党と公明党が圧倒的に多数を取り、安倍晋三氏の一強体制についてはしばらくは揺るがない状況が続いています。そんな中で安定してバトルを繰り広げても安易に降板させられないためには、リベラル派、共産党叩きという左派叩きを基本にしながらも、あまりに強すぎる現政権をたしなめるような形で叩いてもそれほど文句を言われそうにない人物をやり玉に挙げて叩くという(^^;)、見ようによっては随分軟弱だと言われそうですが、言葉だけは勇ましく、自分こそ「正義の味方」であるという信念で自分が「悪」と認めた対象を退治するというスタンスでやって行くのがいいでしょう。

うまく行けば、首相にはなれないかも知れませんが、どこかの集団のリーダーくらいには収まることができるかも知れません。そうしてのし上がるには政治的な嗅覚が必要ですが、その点、東京都知事になるまでの舛添要一氏の行動には学ぶべき点が多くあると思います。

自らの母の介護した体験を演説することにより厚生労働大臣になり、当時の自民党の執行部の批判をしたりして、市井の人々から「次の総理になってもらいたい人」という評価を得ることもできましたし、知事選も一度敗れたものの、自民党を離党してから二度目の出馬で大勝し、東京ではもちろん、全国の政界にも影響力を与えるだけの存在になりました。

このまま知事としての任期を全うすることができれば本当にこれ以上ない立志伝中の人として後世に名が残ったと思うのですが、残念ながらそうならなかったのは皆さんがご存知の通りです。

一応、次回を最終回とする予定ですが、様々な野望や目標を持つ人がその目的を達成した時どこで満足するかということも大切な事ではないかと思います。私の場合はもちろんテレビコメンテーターになろうとする野望はなく(^^;)、外から自由にテレビを見て好き勝手に書いていることで十分満足しています。

※ここまで書かせていただいた内容をリンクの形でまとめさせていただきました。興味のある方はリンク先からもご覧下さい。

(1)恥も外聞も関係なし
(2)ネットサポーターを作れ
(3)発言は大声で尺に収める
(4)常に「仮想敵」を作る
(5)到達点を見際める


舛添要一氏の行動からコメンテーターのあり方を考える(3)発言は大声で尺に収める

この文章を書くにあたりまして、過去から現在までの「朝まで生テレビ!」のデータを見ると、舛添要一氏は右派の論客の中だけでなく、全ての出演者の中で比較してもこれまで96回という番組の最多出演記録を誇っているようです。それだけ番組に重宝されたのは、やはりテレビの中の発言についてある程度の説得力を持っていたということがあると思います。

テレビの討論で、自説を視聴者に印象付ける場合、どうしても「時間の問題」というものにつきあたるということがあります。そうした問題を解決するために「朝まで生テレビ!」は深夜から早朝までという当時の討論番組の長さから考えると、かなり思い切った形での長時間のプログラムになっているのですが、出演者が多いのと取りあつかうテーマがかなり突っ込んだものが多かったことから(天皇や宗教など当時はタブーと言われたものが多く取り上げられていました)、これだけ長時間のプログラムでも時間が足らず、さらに出演者の中には言いたい事がまるで言えないまま終了ということもありました。

そんな中で生放送の中、自説をテレビの視聴者に伝えるためにはどうすればいいかという事になりますが、私自身に示唆を与えてくれたのが「朝まで生テレビ!」に出ていた左派の論客で映画監督の大島渚氏の「バカヤロー」という怒りの発言でした。とにかくよく通る声で、深夜の放送のためつい見ながらウトウトしてしまう視聴者対策として行なっているのではないか? という都市伝説もありましたが、大きなよく通る声を出すということは、たとえそれがテレビの中だったとしてもやはりインパクトがあり、話題の中心として自身を認識させるにはこれ以上の方法ではないかと思わせてくれました。

相手が自分から見るとつまらない話をダラダラとしているところでは大声で割って入り、そこからコマーシャルに入るタイミングがそんなに時間がなかったとしても、自説のキーワード先に出しながら、とにかく早口でまくしたてるように主張することで、最後に視聴者の記憶に残る発言になることは確かです。さらに相手より大声を出した方がより自説を多くの人に認知させられるということは疑いの余地はないでしょう。

この法則を知っているテレビに出慣れた人と、初めてテレビに出てきて自説を何とか発言しようとする人がかけ合いになった場合は、かなり悲惨な結果になってしまいます。声が小さく何を言っているかわからないような人であえばなおさら大声で的確に要点を突く人の方に注目が集まり、録画番組なら全く自分の喋ったところが使われないということも起こり得ます。

また、番組が生放送の場合はとにかく視聴者に届く大声でまくし立てた方の勝ちですから、テレビに出る前にしっかりとトレーニングして腹から大きな声をはっきりと出せるようにしておくことが話の内容よりも大切ではないかと思います。

これは舛添氏に限ったことではないですが、コメンテーターとして活躍している方というのは男女関係なく、自分で言いたい事があったら司会者に何を言われようと最後まで大声で自分の意見をテレビカメラに向かってまくしたてることを基本にしているように感じます。そんな場合には相手の立場などかまっている暇はないでしょう。コメンテーター同士の議論になってしまった場合、どちから優勢であるかということは冷静に視聴者によって判断されてしまいますので、強気に出ることが大切だと言えるのではないでしょうか。

ただし、視聴者の中には双方が大声で言い合いになった場合にはそれこそお互いが何を言っているかわからないような状態で放送が終了してしまうように見えることもあり、本来はテレビで物を言うためには仕方ない事であるだけなのに、性格が独善的であると誤った判断をされてしまう恐れがあり、その事を自身に対する批判の材料に使われる可能性はあります。ただ、これもテレビで自説を述べるためには仕方ないところではあるので、SNSなどでフォローをしながら、自分の正当性を訴えていくことも必要になってくる場合も出てくるかも知れません。

※ここまで書かせていただいた内容をリンクの形でまとめさせていただきました。興味のある方はリンク先からもご覧下さい。

(1)恥も外聞も関係なし
(2)ネットサポーターを作れ
(3)発言は大声で尺に収める
(4)常に「仮想敵」を作る
(5)到達点を見際める


舛添要一氏の行動からコメンテーターのあり方を考える(2)ネットサポーターを作れ

テレビのコメンテーターとして話す人の中には、性格云々は置いておいて、どんな思想に立ち位置があるかでその評価が判断されるところがあります。テレビを見ている人たちに共感されるか否かは、やはりどんな立場でコメントをするかということと無関係ではないでしょう。

舛添さんの経歴を見ると、東京大学法学部を卒業され東京大学教養学部政治学助教授となり、テレビには「国際政治学者」という片書きで登場されました。恐らく舛添氏とテレビとの関係を考える時、「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系 金曜深夜月一回放送)での印象が強く、当時の左派論客を理詰めにやりこめる姿に拍手喝采を送った人も少なからずいるのではないでしょうか。

「朝まで生テレビ!」放送開始は1987年ということで、まだインターネットではなく視聴者の意見は直接電話するかファクシミリを使って送る一方通行のものでしたが、番組的には右派の論客として今まではテレビを通して聞けなかった意見をズバズバ言うさまは新鮮に映ったように思います。

もちろん、あの姿を見るだけでいやだと拒否反応を示していた方もいたことでしょうが、そういう人というのは番組にファクシミリを送る人はそういないと思いますし、当時あえて工作員のようなものを組織して抗議するような集団もなかったように思います。ただ、個人攻撃だけに終始する偏った意見はテレビ局の方で外されるような対応が普通だったと思いますので番組で紹介されることはほとんどなかったでしょう。また、番組内での舛添氏の意見に反論する意見があったとしても、個人の感想のような意見について当時は直接思想性についての批判を言わずに「衆愚の極み」というようなキーワードを言ったりして、反対する意見についてはそれほど気にしなかったというか、そうした意見を無視してでも強気な発言を繰り返す姿勢にこそ人気が集まったのではないかと今振り返ってみると思えます。

現代と当時とは当然状況は違ってくるとは思いますが、昔も今も、世論調査を行なえばどうしても保守派の意見の方が大勢を占める傾向にあります。長くコメンテーターとして生き残っていくためにはやはり思想的には左右で言えば右であることに越したことはないでしょう。さらに、現代の社会は番組に送られてくるファクシミリや電話だけをコントロールすればいいという事ではなく、様々なネット上の発言についてしっかりコントロールする必要が出てきます。

といっても話はそう難しいものではありません。現代のネット世論と言うべきものは、どれだけの人が書いているかは不明なものの、その数においては圧倒的に政府自民党を支持する意見が多いので、基本的には政府擁護を訴えながらも100%同調はせず、理にかなった批判も行なうようにすれば、保守層の中で現在の安倍首相のみが正義という立ち位置でネット発信をしている人からの批判は出るかも知れませんが、左の発言をピシャっと封じる中で、「健全な保守」を求めて頑張っているという姿を演出でき、ネット世論を味方に付けることは十分可能でしょう。

舛添氏の場合も、東京大学の権威を否定るする形で東京大学の助教授という肩書を投げうって在野の人になったことで、自由に物が言えるようになりさらにテレビ出演が増えていきました。「朝まで生テレビ!」と比べるとかなりバラエティー色が強い「TVタックル」という番組にも出会い、そこで程よい天敵として「ハゲ!」と罵倒されることで視聴者の同情を買った田嶋陽子氏とも出会いました。以降、お2人の掛け合いは番組の名物になり、出演の回数も増えていきます。

これは、舛添氏の立場としては単なるお堅い国際政治学者としての認識が変わり、庶民的な存在へと変わる上で良いテレビの利用方法と言えたのではないでしょうか。東大卒で頭も切れるが人間味もある存在ということになれば、テレビの世界ではさらに出演を請われることになり、討論番組だけではなくバラエティにも進出し、自身で書かれた本の宣伝ができたりと、連日テレビに出て意見の言える人になっていくことになります。しかも保守寄りの意見が多いのでテレビ局も安心して使えるということになります。

さらに、番組内で意見を言う時には主要な一般の方の見るようなサイトでの議論を主導する「ネットサポーター」を育成することも現代では欠くことのできない対策だと言えるでしょう。とにかく自分の言う意見に同調の書き込みをしてくれる人が増えれば言うことはありませんが、基本的には自分の方からそうしたネット世論に寄った発言をすることで、何かの拍子で自分が窮地に追い込まれるような失敗をしでかした時にはネット上から擁護の声が挙がってくるようになってくればもはやコメンテーターとしては盤石でしょう。

もちろん、テレビの中からは真摯に失敗したことについては詫びを入れ、殊勝に務めることによって今後のテレビ出演の継続も確保されることになるでしょう。ネット民と言われる人によって炎上する場合、左の人たちだけが騒ぎ出してもより勢いの強い右の立場の人たちの擁護が勝手に入りますが、保守派を標榜しながらネトウヨから叩かれてしまうようでは、左右関係なく叩かれるだけになってしまいますので、人の言う事を全く聞かないという性格など人間の根元に当たるような問題をテレビで出さないようにする注意も必要でしょう。

※ここまで書かせていただいた内容をリンクの形でまとめさせていただきました。興味のある方はリンク先からもご覧下さい。

(1)恥も外聞も関係なし
(2)ネットサポーターを作れ
(3)発言は大声で尺に収める
(4)常に「仮想敵」を作る
(5)到達点を見際める


舛添要一氏の行動からコメンテーターのあり方を考える(1)恥も外聞も関係なし

過去の投稿で疑惑を残したまま答えなかった前東京都知事の舛添要一氏をテレビのコメンテーターとして復帰させたTBSを批判させていただきましたが(以下のリンクで書いた内容です)、立場を替えてテレビコメンテーターの立場から考えると、舛添氏の取った行動というのはある意味テレビの特質を理解した、狡猾な立ちふるまいだったと言うことも言えると思います。

https://tvkansou.net/10230800

「悪名は無名に勝る」という言葉がありますが、テレビに出続けて名前を売ることで生活の糧を得るという事であるなら、追求された事をはっきり答えず立場が悪い中であっても自らの情けない姿をテレビの画面上に晒し、自らの姿の「水に落ちた犬」のようにふるまうことによって視聴者の涙を誘うことができれば、四方が敵の状態からほんのわずかでも自分の事を好意的に見るか許そうと思ってくれる人が出てくるかも知れません。

舛添氏が騒動の後で初めてテレビ取材を受けたのがTBSの「サンデー・ジャポン」だったと思いましたが、そこでの舛添氏は引きこもりのようでもあり、地下室でカップ麺をすすったのが食事だったというような「日々の生活」を公開し、そのVTRを見た同番組の出演者に思いっきり「笑われた」わけですが、そうして恥を忍んで取材を受けた結果、サンデー・ジャポンのコメンテーターとしてのテレビ出演が叶い、さらに朝の情報番組の「ビビット」にまで進出してきたわけでしょう。

視聴者の中には舛添氏の事を「こんな恥知らずな人はいない」と思っている方もいるかも知れませんが、そんな方に敢えて問いたいのがここ最近醜聞の人となった人の中で、これだけ公の場に出てきた人がいたかという事です。

あえて一つだけ例を挙げるとすれば、醜聞の人となってから入院と称し全く姿を現わさなかった国会議員の方は、選挙の季節を感じる状況になったとたんに会見を行ない、さらに街頭に出て訴えを始めましたが、もし自らの秘書にこっそり録音させたICレコーダーの「このハゲ」発言がブレイクする前に記者会見および各キー局の単独インタビューの形でしっかり毎日のワイドショーに姿を出していたら、欠席裁判のごとく画面にICレコーダーが映し出され、ご本人がしゃべったとされる内容があれだけセンセーショナルに広まっていくことはなかったのではないかと思われます。

早いうちにご自身の叩かれる姿をテレビを通して全国に発信することで同情する人も出てくるでしょうから、選挙の結果も最下位で惨敗という事にはならなかったかも知れません。選挙で勝てなかったとしても、その中で悲劇のヒロインのような一面を出していたら、もしかしたら自らの起こした事件を逆手に取って舛添氏の元妻である片山さつき氏のようなスタンスでコメンテーターとして呼ばれていた可能性すらあります。そうして、自ら恥を晒して自分の姿を晒し続けることで、勝手に他人が応援団となって選挙に担ぎ出され、次回の選挙に出て勝利するなんて方向性も出てきたかも知れませんでした。

ただ、普通の人だったらパニックになってとてもテレビカメラの前に出ることすら足がすくんで無理だろうとも思えますので、改めて舛添氏の心の強さというか、自身が地に這いつくばってもテレビというメディアに出続けることが大切だと思っているところがすごいと素直に思えます。

よく、一般企業でもクレーム対応についての対処法として「クレームこそがチャンスだ」というものがあります。クレームが出るということは何らかの問題があると思われ、企業としての信頼性を下げる事には間違いないわけですが、そのクレーム処理を見事にこなすことで、企業に向く逆風が反転するということは良くあることです。

今回の舛添氏の場合は真摯に全ての疑惑に答えたわけではありませんが、言いたくない事は留保したとしても、とにかく恥を忍んで連続してテレビに出演し続けていることで、時間の経過とともに自分の次に標的になった人物の方へ世間の関心が移っていくこともわかっていると思います。その期間がどのくらい続くかはわかりませんが、とにかく自分に対するバッシングを笑って辛抱できる心があれば、たとえ大きな失敗をしたとしてもその人の興味の方が大きければ再度政治家として復活という芽もあるかも知れません。もし今後、テレビコメンターだけでなく政界進出を狙っている方がいるとしたら、まずは心掛けたい点であると言えるでしょう。

※ここまで書かせていただいた内容をリンクの形でまとめさせていただきました。興味のある方はリンク先からもご覧下さい。

(1)恥も外聞も関係なし
(2)ネットサポーターを作れ
(3)発言は大声で尺に収める
(4)常に「仮想敵」を作る
(5)到達点を見際める