「たかがテレビ」で何が悪いのか

毎日新聞8月8日の夕刊に載った放送作家でテレビ製作会社「ベイビー・プラネット」代表取締役社長のたむらようこ氏のコラム「窓辺から」で『「テレビ」とひとくくりにしないで』というコラムの題名が目に留まりました。

内容については、たむら氏が自分の母親と電話している中で「新しい話題に飛びついては、すぐに放り捨てるような番組の姿勢が嫌だ」と愚痴っていたときに「えっ? テレビってそんなもんやろ?」と言われたことがショックで、テレビを作っている人には様々な考えがある中で番組ができているという事を主張し、ひとくくりに「テレビなんて」と言ってくれるなと結んでいるのですが、これはテレビを見ている立場からするとそんな事を言われても……という気になってしまうのが正直なところです。

政治家や役人がが不祥事を起こせばテレビでその事を大きく伝えれば伝えるほど「今の政治家(役人)は」というひとくくりに考える人を増やすことにもつながり、テレビはいままでさんざんそんなことを繰り返してきています。そうしたテレビの特質をわきまえていながら自分たちだけはひとくくりにしないでというのは、ちょっと身内に甘すぎるのではないのかなと正直思ってしまいます。

さらに、テレビがひとくくりのイメージで見られがちな原因として考えられるのが、民放の場合はスポンサーや広告代理店、さらにNHKを含めてあるのが特定の大手芸能プロダクションに忖度し、出演者のキャスティングや内容に影響するのではないかと思われていることも原因のように思います。ただこれは、テレビが大きなショーウィンドーとして莫大な広告費が投入されてきたことの一つの結果であって、いくら高潔に自分はそうではないと言うテレビマンがいたとしても、その事実にはあらがえないのではないかと思います。

さらに調べていて幻滅したのが、たむら氏は単に企業が出す広告について明らかに一線を越えたと思われる、過去に大企業との露骨なタイアップで視聴者の消費行動をあおったことで問題になったフジテレビの「発掘!あるある大事典」の構成をしていた人物であることがわかったことでした。おそらくたむら氏のご母堂は、過去に娘がそんな番組の構成をやっていたことを知っていたので電話で正直にテレビについての感想を話しただけだと私は思うのです。

こういったことはテレビマンに限りません。様々な職種にはそれにつきまとうイメージが有るものの、中にはその誤解を解き、信頼されるように努力されるような人もいるでしょう。テレビ番組を作っているとつい簡単にメディアを使って自分のご意見を出張したくなるところだと思いますが、他の業種では自分の仕事をお客様に見せながら変わっていくしかないところもあります。そうしたやり方に習うなら、むしろ「たかがテレビ」と思われている中で、ちょっと違う切り口や内容の番組を作り、その番組が評価されることで十分ご自身の主張できるのではないかと思います。

テレビの番組を見せるだけでは心配だというなら、一ヶ月に一回でもいいですからテレビ番組のプロデューサーなどをテレビに出し、自分たちの作った番組について「この番組は失敗した」というような反省を糧にして新たな進歩を目指す自己批判番組でも放送すれば、もっとストレートに「テレビというだけでひとくくりにはできないテレビマンの真摯な気持ち」というものを伝えられるのではと思います。

さらに、今の時代なら会社のホームページでもテレビ番組を送り出す人間の想いというものは伝えられます。単に「今度こんな番組を作ったから見てね」ではなく、「この間放送された番組は自分の思いがほとんど伝えられなかったが、今回は期待して!」というような作り手の叫びとともに紹介される番組については、どのように反省点を生かした構成になっているのかということが興味が出てきますし、見たくもなると思います。「たかがテレビ」と言われても、その中にキラッと光るような場面、制作者の想いのようなものをこのブログで伝えていきたいと思っているので、魅力的だと作り手が思う番組を沢山放送してくれるよう願っています。


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