高校野球についての新たな流れ

今回の夏の甲子園は100回の記念大会で、さらに秋田県代表の金足農業高校が秋田県勢としては第1回大会以来、103年振りに決勝へ進出したということで、もはや優勝した大阪代表の大阪桐蔭高校の存在が霞んでしまうほどテレビニュースでの後追い報道がテレビでされましたが、改めて思うことは高校野球に限らずアマチュアのスポーツは人のためではなくあくまでプレーする本人達のものであるということです。確かに甲子園大会は他のあらゆるスポーツに先んじて日本国民の娯楽としても扱われてきて、ここまで存在が大きくなるにあたってはテレビの影響を考えないわけにはいきません。ここでは、今大会を通じてマスコミやネットで出てきている様々な批判や意見について、考えることを残しておきたいと思います。

まず、なぜ優勝した大阪桐蔭高校の存在が薄くなったかというと、決勝で対戦した金足農業高校の存在があまりにも試合を見ている人の心象に訴えるところがあったからでしょう。100回目となる夏の大会で、まだ優勝していない県というのは多くありますが、地域的に見ると、青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島という東北地方の代表がまだ春夏通じて一回も優勝していません。かつては雪深い地域性がその原因と言われ、実際に新潟・富山・石川・福井(春優勝有)・鳥取・島根のように、冬に雪が降るような所では確かに優勝していない県が多いのですが、かつては東北以上に優勝とは縁遠かった北海道が駒大苫小牧高校の出現によって2連覇し、決して雪国のチームであっても優勝できないということはなくなったと思います。

さらに今回の金足農業高校は、ピッチャーの吉田選手を中心に、全て秋田県出身の3年生9人で地方予選から全国大会決勝まで戦い続けてきた「絆」というものもあり、試合で勝ち進むごとに、もしかしたらこのまま東北地方最初の優勝にまで行ってしまうのではないかという期待を多くの人が持つに至りました。決勝こそ大差で敗退となりましたが、かつての福島・磐城高校や青森・三沢高校のように優勝した高校よりも今なお語られるような伝説的な足跡を甲子園に残したと言えるのではないでしょうか。ここでのポイントは、優勝した大阪桐蔭高校とは違う金足農業高校のチームコンセプトです。

・スカウティングなしのオール地元(大阪桐蔭は全国規模で選手を見ている)

・投手一人体制(大阪桐蔭は複数投手でローテーション回し)

・公立の農業高校(大阪桐蔭はスポーツも文化系クラブも大学進学もトップクラス)

まだあるかも知れませんが、これだけ状況が違う高校が決勝で相まみえるということになると、日本の高校野球ファンの中にはあえて劣勢の方を応援したくなるという海外の基準から見ると理解しがたい状況になり、それに新聞やテレビなどのマスコミが味付けをして大きなうねりになってしまったということになります。

個人的にはスカウトをするのも、県外から越境入学をさせるのも、公立でなく私立であっても全く問題ないと思っているのですが、今回の報道の中にはそれらのことが悪とは言わないものの、高校野球の理念とは合わないというような事で批判する声もあったように思います。

個人的には大阪桐蔭高校の考え方というのは大変良く理解でき、有望な中学生が集まるのも当然なことだと思っています。それは、越境入学でも中学オールスターをかき集めることでもなく、徹底した相手チームの研究とその対応を考える「データ班」の存在にあると思っています。これは、例えばオリンピックで金メダルを取るために戦うようなもので、万が一の失敗も許されない地方大会からのトーナメントで一度も負けずに戦い抜くためには、どんな力の差のある高校との対戦でもきっちりデータを取って、何が起こっても慌てずにデータを確認して対策を取ることができる情報網にあると思います。

よく、甲子園に出場するチームの目標が「全国制覇」と宣言する所は多いと思いますが、全国の高校チームの中で一番その目標に向かって努力し、常に全国制覇を見据えている高校こそが大阪桐蔭高校だと思うのです。その目標のために努力をするわけなので、どんなに大変な練習でも我慢するわけなのですが、そのためには相当力のある選手であってもレギュラーになることは難しく、状況によっては単なるデータ班に振り分けられグラウンドで活躍できなくなることがわかっていても入学したいという生徒もいることでしょう。それだけ、「全国制覇」ということに特化した高校野球を大阪桐蔭高校がしているということで、それはそれで立派なことだと思います。

しかし、全ての高校生は全国制覇を目的に野球をしているわけではないと思います。金足農業高校のように、地元の仲間と甲子園に出ることが目的の高校もあるでしょうし(今回はそんな状況で確変を起こしてしまったと考えることもできます)、たとえ地元でなくても甲子園の土を踏みたいと思って越境入学するような生徒もいます。

今までは、そのような高校球児がほとんどだろうと思っていたのですが、今回、朝日新聞の講評を見ていたら、ちょっと面白い記事を見付けました。それは静岡県代表の常葉大菊川高校について書かれていた記事でした。大会中から「フルスイング打線」とか「ノーサイン野球」というような言われ方をしていたのですが、チームを取材していた記者の眼には今までの高校野球と違う流れを常葉大菊川というチームに見出しているような印象を受けました。

それは、練習では恐らくきめ細やかな指導があるからこそ堅い守備や見事な走塁があると思うのですが、試合の段階では監督はただ置物のように見ているだけで、攻撃も守備も全て出場している選手が考えて行なうという形にしているそうです。それこそ勝利をするためには高校生の判断では足りないと思う指導者がいたら、試合のポイントでサインを出して監督の判断で選手が動くことが普通ですが、過去には投手の投球内容についてもキャッチャーからではなくベンチの監督が球種のサインまで出すというチームもあるほどです。しかし、それで勝てればいいですが、監督の判断で高校生活最後の試合で負けてしまったとしたら、選手の中にはその事がトラウマとして残ってしまう事もあるでしょう。

常葉大菊川高校の高橋監督がまさにそのような経験を選手時代にしていたそうで、常に送りバンドでなく、打てそうな予感があった時にもし自由に打てていたらという後悔があったそうで、教え子にそのような経験をして欲しくないということで、ノーサインで好きにやらせるという戦い方をするようになったとのことです。

さらに大会中でびっくりしたのは、対戦相手が決まっても十分にデータ分析をするわけでもなく、あくまで自分達がやりたいような形での試合を進めることを優先させるような事が現地のレポートの中にあったので、このチームはそこまで「勝利至上主義」ではなく、とにかく野球を楽しんでやる事を優先的に考えているような感じなのです。小さい頃に野球を始める理由というのは様々だと思いますが、単純にボールを投げて空振りを取ったり、逆に大きな当たりをかっとばす事自体が楽しいからというのがほとんどではないかと思います。好きで楽しいから上達しようと思って一生懸命練習し、その結果が試合で出ると、さらに熱中するというような形で野球がうまくなれるのなら、その方がいいという風に考えるのが常葉大菊川の野球であるというような感じでした。

今回の菊川のメンバーは大阪出身のレギュラーが一人いたものの、全国選抜に選ばれた二人はどちらも高校の近くで幼少期から過ごした地元の子で、他のメンバーもほぼ地元といったような選手構成になっていました。別に全国からうまい子を集めなくても、練習を辛く苦しいとは思わずに楽しんでやることによってここまで伸びるなら、人によっては常に勝つことを意識せざるを得ない大阪桐蔭コースでなく、たとえ甲子園に出られなくても常葉大菊川コースを選んだ方が自分の実力を伸ばして行けるのではないかと思う子が出てきても不思議ではありません。

今回の大阪桐蔭高校の盤石の春夏連覇に、高校野球は面白くなくなるのでは? と考える方もいるかと思いますが、今回紹介した大阪桐蔭高校とは違うアプローチで野球がうまくなりたいと考える球児も少なくないと思われますので、個人的にはそこまで心配はしていません。ただ、常葉大菊川のやり方ではなかなか全国制覇は難しいと思いますが、優勝するのも全国で一校だけなので、自分の思い通りにならずに悔いを残すなら、自由にできるところで思い切りやってみたいと思う生徒も今後増えるような気もします。今回はそうした新しい高校野球の流れを感じられたという意味でも面白い大会になったのではないかという気がします。

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